美しきアール・ヌーヴォーの照明とナンシー派美術館

こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。

クリスマスが近づきイルミネーションで光り輝くまち。
寒さでうつむきがちに家路を急いでしまうこの季節ですが、華やかなネオンに誘われて思わず上を向いて歩きたくなりますね。
今年も世界各地で煌びやかな光の祭典が催されているようです。

さて。
“灯りが放つ色とりどりの美しさに思わず見惚れてしまう”という意味では、弊社がお取り扱いするアール・ヌーヴォーの照明たちも負けてはいません。
直営の吉祥寺店と軽井沢店(現在冬季休廊中)でご覧いただけるたくさんの天吊灯やテーブルランプが、店内を優しい光で包み込んでいます。

特に夕方以降、辺りが暗くなってからの輝きは格別。
店外に溢れた照明の光につられてお立ち寄りされる方も珍しくありません。

当店外観

※各画像クリックで詳細ページへ

今からおよそ120年前に誕生したアール・ヌーヴォーと呼ばれる芸術様式。
機械により大量生産される低俗な生活用品を嫌い、質の高い手工芸の芸術品を大切にしようと同時代にイギリスで広まった、アーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受けて流行した芸術運動で、こうした美しい照明たちも当時の日常生活に積極的に取り入れられました。

フランスの「ナンシー派美術館」は、当時の姿を今も残す建造物の一つ。
フランス北東部ロレーヌ地方の都市ナンシーにある美術館です。

ナンシー派美術館外観

19世紀末のこの時期。
ヨーロッパの各都市では”万国博覧会”という催しが開催されていました。
各国が、機械類などの産業品から美術・工芸品に至るまでをこの場に出品。
万国博覧会(通称、万博)は、他国に負けない高い国力を見せつける格好の舞台でした。
この万博で一躍脚光を浴びた分野が”ガラス工芸品”。
特に、ナンシー出身のガラス工芸家エミール・ガレやドーム兄弟らが生み出した、アール・ヌーヴォー様式の装飾的なガラス工芸品は世界的に高く評価され、ガラス芸術勃興の気運はぐっと高まりました。

しかしガレは、ガラス工芸に対する評価の向上を喜ぶと同時に、ドイツやイギリスなど伸長する他国の技術に危機感を強め、1901年に地元ナンシーで「芸術産業地方同盟(通称:ナンシー派)」を設立します。
この組織はナンシーで活動する芸術家同士の交流や結束を強め、アール・ヌーヴォー芸術の展示会などを精力的に行なう目的で誕生。
ガラス工芸家のみならず、家具職人や建築家、彫刻家、画家など多岐にわたる分野で活躍するメンバーで構成されました。

ウジェーヌ・コルバン

この「ナンシー派」を語る時に欠かせないのが、彼らの芸術を深く信奉し、パトロンであったウジェーヌ・コルバン(1867-1952)の存在。

百貨店Réunis

ナンシーを主力に展開した百貨店Réunisの創業主アントワーヌ・コルバンを父に持つウジェーヌは、やがて父の事業経営に携わるようになり、その仕事を通じてナンシーの多くの芸術家と交流、彼らの作品を蒐集するようになります。

百貨店を拡大リニューアルした1906年には、新店舗の外装からインテリアまでをナンシー派の芸術家たちに依頼するなど、敏腕な百貨店経営者として一時代を築きました。(現在はプランタン社に買収)

そして、1935年。
ウジェーヌはそれまで集めてきたナンシー派コレクションの多くを市に寄贈。
その素晴らしい収蔵品は第二次世界大戦までポワレル・ギャラリーで展示されました。
また、1952年にウジェーヌが亡くなるとナンシー市は彼の私邸を購入。
彼が住んでいたアール・ヌーヴォー様式の屋敷をほぼそのまま利用する形で、ナンシー派の作品が一堂に見れる施設として1964年に美術館を開館させたのです。

それが、現在も一般公開されている「ナンシー派美術館」。
時が止まったかのように往時の面影をそのままにとどめるその場所は、まるでナンシー派の芸術家たちがひょっこり集まってきて、さっきまでの芸術談義の続きが今にも始まるのではないかと思えるほど。

ダイニングルーム

 

機械生産の安価なモノが溢れる現代。
慌ただしく過ごしてしまいがちな毎日をリセットして、生活に優しく調和するアンティークの調度品を日々の暮らしにそっと取り入れてみませんか?

職人が手作りで生み出した温もりあるアール・ヌーヴォー装飾の一つ一つが、私たちの心をきっと豊かにしてくれるはずです。

*弊社取り扱いのアンティークランプシャンデリアもぜひご覧くださいませ。

(R・K)