ここにもあそこにも!繰り返し描かれた藤田嗣治の猫たち

藤田嗣治 猫の本 アオラこんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。

2016年から2017年にかけて開催された美術展「レオナール・フジタとモデルたち」。
千葉、新潟、福島を巡回したのち秋田県立美術館で開催された同展では、藤田が1928年に手がけた巨大な壁画パネル「構図」と「争闘」を、同館が所蔵する藤田嗣治の壁画「秋田の行事」 とともに展示。
秋田展でのみ実現したスペシャルな展覧会を堪能できました。

この「秋田の行事」については、以前、こちらのブログでも詳しくご紹介させていただきましたね。

藤田嗣治「秋田の行事」

さて、今回取り上げるのは「秋田の行事」ではなく、「秋田の行事」制作のおよそ10年前にパリにて描かれた「争闘Ⅰ・Ⅱ」と「構図Ⅰ・Ⅱ」と題された計4枚の壁画パネル。
元々は、パリ国際都市大学に通っていた日本人留学生が寄宿する寮「日本館」を飾るはずのものであったと考えられています。

この寮の寄贈主だった資産家の薩摩治郎八(1901-1976)は、旧知の友人である藤田にこの大仕事を依頼。
これほどまでに大きな”記念碑的”な作品に挑戦したのは藤田自身初めてのことで、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂や葛飾北斎の北斎漫画を参考に、人物や動物を入念に配置しながら圧倒的な存在感のある群像表現を完成させました。

残念ながら、当事者同士で何かしらの事情があったためか、「争闘」と「構図」が日本人寮に納められることはありませんでしたが、藤田嗣治の長い画業の中でも特に重要視される作品群です。

「構図Ⅰ」 「構図Ⅱ」
「争闘Ⅰ」 「争闘Ⅱ」
「争闘Ⅰ」の部分拡大

群像表現とだけあって、画面の至るところでは人間や動物たちが様々に交わう様子が繰り広げられており、見飽きることが全くありません。

例えば、「構図Ⅰ」に描かれたライオンのいる檻の上にたたずむ一匹の猫。
よくよく見れば、1930年発表の版画集『猫の本』に出てくる”メッサリーナ”と名付けられた猫と、ポーズや表情もまったく一緒。
壁画の「構図Ⅰ」が1928年に手がけられたことを考えると、メッサリーナは恐らくこの猫を参考に生まれたものだったのでしょう。
ちなみにこの猫は別の銅版画集『猫十態』に登場する猫でもあります。

こちらを見据える「構図Ⅰ」の中の猫が「今頃気づいたの?」と言わんばかりの表情にも見えて、細部や背景の描写まで手を抜かない藤田らしい表現ですね。

 

「構図Ⅰ」の猫 『猫十態』より(1929年) メッサリーナ『猫の本』より(1930年)

藤田はその創作活動の初期から晩年に至るまで猫を描き続けた画家。
こうした藤田の猫たちは、時に同じポーズや表情を見せながら、描かれた時代や場面を超えてたびたび複数の作品に現れます。

メッサリーナのように繰り返し描かれた、愛嬌たっぷりの可愛い猫たちをご紹介しましょう。


<ひっくり返ったポーズの猫>

 

「構図Ⅰ」の猫 『猫十態』より(1929年)

<横たわって眠る猫>

 

「構図Ⅱ」の猫 『猫十態』より(1929年)
『猫の本』より(1930年)
『夜と猫』より(1950年)

<アヒル口の猫>

「自画像」(1927年)
「マドレーヌと猫のいる自画像」(1932年)
「婦人像」(1935年)
「猫のいる静物」(1940年)

アトリエで猫を描く藤田

藤田の作品目録や展覧会図録などを眺めていて、時として別の作品でも見たことのある藤田の猫たちに出会うと、何だか急に親近感が生まれて思わずその猫への愛情が生まれてくるような気がします。

しかし、藤田が猫の作品を多く残したのは、単に猫が好きだったからだけではありません。
渡仏から間もない1910年代。貧困のため絵のモデルを雇えなかった代わりに、よく道端で拾った猫をモデルに絵を描き続けていたといいます。

前回のブログ「没後50年 藤田嗣治 本のしごと」でご紹介したように、展示の締め括りの特集で、藤田の「友達」である猫たちは実にさまざまな表情や仕草を見せてくれていました。

晩年に渡るまで藤田が猫を飽きずに描き続けた理由の一つは、そんな困窮した生活の中で、時にモデルになってくれ、時に温もりを分かち合った藤田から猫への恩返しの意味もあったのかもしれませんね。

(R・K)