平野政吉×藤田嗣治 二つの個性が生み出した秋田の至宝「秋田の行事」

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ブログをお読みいただきありがとうございます。

藤田嗣治の一級品の所蔵で知られる秋田県立美術館(旧平野政吉美術館)。
米穀商を営む秋田の資産家・平野政吉(1895-1989)が個人で蒐集した国内外の美術品コレクションを公開する目的で1967年に設立された美術館です。
オープンから約50年を経た2013年には安藤忠雄氏設計の新美術館に移設。
収蔵作品をもとにした幅広いテーマで企画展を開催しています。
以前、こちらのブログでもご紹介させていただきましたね。

秋田県立美術館

 

では、なぜこの秋田という土地が藤田にとって縁のある場所となったのでしょうか。

そのきっかけを作った平野政吉が初めて藤田の作品に触れたのは、藤田がフランスから17年ぶりに帰国した1929年。
パリで華々しい活躍をしていた藤田嗣治の帰国とあって、平野が藤田の作品を目にする機会に恵まれたことは想像に難くありません。

しかし、平野が藤田と直接話すチャンスを得たのはそれから5年後のこと。
中南米への旅を終え再び日本に戻っていた藤田と二科展会場で出会った平野は、藤田の豪放な人柄と強烈な個性に衝撃を受けると同時に、その性格とは対照的にも思える藤田の描く作品の繊細さに感服。
以降熱心に藤田の作品を蒐集し、藤田の4番目の妻マドレーヌが亡くなった折には、彼女の葬儀費用を平野が工面するなど急速に仲を深めていきました。

平野政吉と藤田嗣治

また、元々10代の頃から美術品蒐集を始めていた平野は次第に、「藤田嗣治の作品を集めた美術館を秋田に建設したい」という夢を抱くようになり、”世界一の作品を作ってほしい”と藤田に壁画制作を提案・依頼したのです。
友人の期待に応えて1937年に完成したその作品こそが、秋田の文化と風俗を俯瞰できる大作壁画「秋田の行事」。

藤田はおよそ半年かけて秋田の風物を綿密に取材。
しかし、一度筆を持つと15日間という超人的なスピードで縦3.65m、横20.5mの大作を描き上げました。

藤田嗣治「秋田の行事」

 


この作品の画面は大きく2つの構成に分かれ、右3分の2を覆うのは秋田を代表する各種の祭事。
そして、左3分の1には秋田の日常の暮らしが描かれました。

右端は毎年5月に開催される日吉八幡神社の山王祭。
若者が神輿を担いで町内を回り平安を願います。
境内には活気に満ちた露店が立ち並び、軽快な囃子の秋田音頭が今にも聞こえてきそうです。


その左。
鳥居の見える場面は、太平山三吉神社の梵天奉納。
神霊が憑依したものとされる”梵天”を神社に奉納することで、五穀豊穣や家内安全、産業発展などを祈願する年始めの神事です。

三吉神社が祀る力の神・三吉霊神にあやかり、威勢のいい奉納をするのが特徴だそうで、藤田の描写からもその熱気と勢いが伝わりますね。


続いて、画面のちょうど中央。
最もダイナミックに描かれた迫力あるシーンは、秋田の祭礼で一番有名な竿燈まつりと七夕祭。

十字に縛った大竿に提灯を吊るし稲穂や米俵に見立て、その竿を肩や額に載せながら練り歩きます。

豊作祈願の他にも真夏の邪気を払う意味も込められ、秋田の人々にとっては欠かせない夏の風物詩。
藤田の作品にも、屈強な男たちが竿燈と格闘する様子が、活き活きと描かれています。


賑やかな動きに溢れた祝祭の光景と対を成すように、画面の左側を占めるのは秋田の静かな暮らしの様子。

その「動」と「静」の境界には、見逃してしまいそうなほど小さな橋が描かれています。
この橋は今でも市内に残る香炉木橋(こおろぎばし)。
旧街道上に架かるこの橋の先には古四王神社があり、ここは元々神社を参詣する人々が通った参道です。

つまり藤田はこの橋を画中に描くことで、神事の行なわれる「聖」の世界と、人々の日常生活という「俗」の世界の境界を暗に示そうとしたのかもしれません。

今も残る香炉木橋と参道

その俗世の場面には、秋田の人々の暮らしぶりが垣間見えます。
雪室で遊ぶ子どもたち、立派な体躯の秋田犬、舌を出す顔の描かれた秋田のべらぼう凧、雪だるま、材木や野菜などを売る商人・・・
慎ましやかに、しかし強くたくましく生きる秋田の人々の姿に藤田自身もきっと共感したことでしょう。

強い色彩の作品を多く残した中南米の旅から戻った後ということもあり、「秋田の行事」にも鮮やかな色彩が画面いっぱいに踊っていますね。 
しかし、完成後に勃発した第二次世界大戦の影響により、美術館建設の計画はおろか壁画の公開すら中止されてしまうのです。

計画が再び動き出したのは、壁画制作からおよそ30年後。
すでに最晩年を迎えていた藤田の元を訪れた平野政吉は美術館建設を報告し、ようやく1967年5月5日に「平野政吉美術館」として開館。
美術館の目玉である「秋田の行事」は
・上方からの自然光を積極的に取り入れた礼拝堂のような大空間にすること
・床から約1.8mの位置に上げ、両端を前にせり出すように配置すること
という藤田からの直接の助言が活かされた臨場感ある展示になりました。

平野政吉美術館(2013年閉館)

 

残念ながら二人の意向を反映した建物は惜しまれながらも2013年に閉館。
「秋田の行事」を含む平野政吉が所蔵した美術品の数々は、通りを挟んだ向かいに建てられた新しい美術館で大切に管理・展示されながら、また新しい世代へと藤田の魂を継承しています。

(R・K)