近代木版画の父トマス・ビュイック

こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。

前回のブログでご紹介した、藤田嗣治の2冊の挿画本「小さな職人たち」と「四十雀」
「四十雀」は、当時の挿画本制作の主流であったリトグラフ(石版画)で刷られましたが、
「小さな職人たち」の挿絵は当時の挿画本としてはやや珍しく、『木口木版(こぐちもくはん)』という木版画。

しかし、「木版」と一口に言っても、
「浮世絵」の木版画技法とはちょっと違う方法です。

(武蔵野美術大学HPより)

浮世絵は、木を縦に切り出した面を用いる「板目木版」。
比較的柔らかく彫りやすい版面を活かし、細い線から太い線まで表現が自在です。 

一方、木を輪切りにした面を用いるのが「木口木版」。
目の詰まった硬い切り口のため、銅版画用の器具で少しづつ版面を掘り出す繊細な表現に適した技法です。

板目木版画(浮世絵) 木口木版画

パッと目を引く力強い線と色彩表現の浮世絵に比べ、まるでエッチング(腐食銅版画)のような精緻な線描の図柄が特徴的な木口木版。
17世紀にはすでに誕生しながらも、一度衰退し、そののち再び18世紀後半のヨーロッパになって復活を遂げた技法です。

トマス・ビュイック(1753-1828)

 

復活の立役者となったのが、イギリス人木版画家トマス・ビュイック(Thomas Bewick 1753-1828)。木版画の他に自然史や動物学にも精通したマルチな芸術家です。

彼の生涯を簡単にご紹介しましょう。
8人兄弟の長男として、イギリス北東部の小さな村で1753年に生まれたビュイック。
幼少時から描画の才能を示したものの、正規の美術教育は受けずに、14歳になると知己のあった彫版師ベイルビー(Ralph Beilby 1744-1817)の元で木や金属を版材とした版画技術を全般的に学びました。

なかでもビュイックの関心を高く引いたのが緻密な彫刻技術を要する木口木版。
彼は、潜在的な才能と高い習得力でみるみる実力を発揮し、1775年には英国王立芸術協会から名誉ある賞を受賞。
ますます木口木版での創作活動に邁進していきます。

ビュイックの手がける木版芸術の特徴。
それは、例えば鳥であったなら、羽毛の一本一本まで木版で的確に掘り出す細密写実画。
細かいディテールまでこだわり抜いた表現や、白黒のインクの濃淡まで逐一摺師に指示し、完成度の高さを貪欲に追求しました。

1790年に出版した「四肢動物の歴史(A History of Quadrupeds)」では、得意の自然観察と写実描写を活かし、小口木版で挿絵を描いた260種類の四肢哺乳類を紹介。
当初は児童教育向けに制作された本でしたが、大変な反響を呼び、1797年と1804年にはイギリスの鳥類をまとめた書籍を続けて出版しました。

「四肢動物の歴史(雄鹿)」より 「イギリス鳥類の歴史(コウノトリ)」より
ビュイックによる「イソップ物語(キツネとカラス)」の挿絵

 

ビュイックはその他にも、イソップ物語(Aesop’s Fables)の挿絵やブックプレート(蔵書票=本の所有者を示す印)のデザインを数多く手がけ、木口木版による近代絵本の普及に深く貢献。また、後進の育成にも熱心であり、自ら30人ほどの弟子を育てたといわれています。

この木口木版は、刷りの際にプレス機に大きな力を要する銅版画などの凹版画と異なり、
軽度の負荷で刷れる凸版であり、活版に組み込んで文字と同時に印刷可能なため、書籍の効率的生産にも大きく役立ちました。

そして、彼の時代には手彩による色付けしかできなかった木口木版の多色刷りを、19世紀後半にイギリス人版画家エドマンズ・エヴァンズ(Edmund Evans 1826-1905)が開発。さらなる絵本業界の繁栄に大きく貢献します。

ケイト・グリーナウェイ「窓の下で」

 

その多色刷り木口木版技術を活かした絵本で、
イギリス人絵本画家ケイト・グリーナウェイは大成功。
慎ましく愛らしい子どもを繊細に描写した世界は皆様も、
一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。 

さらに、グリーナウェイの父親の友人であったエドマンズ・エヴァンズは、
グリーナウェイの高い画力と個性を高く認め1879年に絵本「窓の下で」を出版。
ヴィクトリアンスタイルの愛らしい挿絵は子どもも大人をも虜にし、10万部を売りつくす大ベストセラーとなりました。

トマス・ビュイックの直弟子のもとで木口木版を学んだエドマンズ・エヴァンズは、ビュイックにとっての孫弟子でもあります。
約250年前にトマス・ビュイックが完成させ、後世へと紡いだ小さな挿絵の木口木版芸術は、
こうして脈々と次世代へと受け継がれ、大きく発展していったのです。

(R・K)