20世紀最大のモード誌『ガゼット・デュ・ボン・トン』~デュフィやイカールも挿絵を描いた瀟洒な雑誌~

こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。

私たちの日々の生活を華やかに、そして時には個性的に演出してくれる洋服や装身具などの”ファッション”。
書店に足を運べば多種多様なファッション雑誌がずらりと私たちを迎えてくれる現代ですが、このファッション雑誌はいつから存在するのでしょうか?

定期的な刊行物としてのファッション雑誌は、1778年からフランス革命直前まで続いた『ギャルリ・デ・モード』が起源と言われています。
本日のブログでは1789年のフランス革命後に社会的混乱が一段落し、出版業が復活しはじめてからあとのモード・ジャーナリスムをご紹介しましょう。

こちらは1797年にフランスで創刊されたモード雑誌、『ジュルナル・デ・ダム・エ・デ・モード(=女性とモードのための雑誌)』。
ファッション・プレートと呼ばれる美しい手彩色が施された銅版画が挿入され、当時の最先端のファッション情報を広く世に広める媒体として先駆的な存在でした。

『ジュルナル・デ・ダム・エ・デ・モード』表紙


その後、洋服の流行と密接な関わりを持つヘアスタイルに特化した雑誌等も登場し、女性たちの「モード=流行」に対する関心はますます熱を帯びていきます。

続く19世紀も『アンクロワイヤーブル・エ・メルヴェイユーズ』や『ラ・モード』など数多くのファッション雑誌が誕生。
その内容も流行のファッション情報のみにとどまらず、当時の社交界や芸術まで幅広く社会問題を扱った記事が掲載され、社会的にも大変価値のある資料でした。
18世紀に広く普及した啓蒙思想やサロンの発達により人々の知識が向上し、フランス人の識字率が著しく改善したことも上流階級女性の購読者増加の要因かもしれませんね。

『ガゼット・デュ・ボン・トン』
右 1920年 第1号
左 1920年 第4号
出版元 :リュシアン・ボージェル出版(パリ)
出版年 :1912-25年
制作工房:ステュディウム工房
技 法 :ポショワール

さて時代は巡り20世紀になると、皇室や王族中心だったファッションへの関心は、産業革命により財を得た新興富裕層ブルジョワジーにまで広がりました。
オーダーメイドによる高価なオートクチュールだけでなく、既製の洋服をより気軽に自由に楽しめる時代へと変遷を遂げるのです。

そのような背景の中で登場したのが、本日ご紹介する20世紀最大のモードファッション雑誌『ガゼット・デュ・ボン・トン』。
創刊者は、当時弱冠26歳のファッションジャーナリスト、リュシアン・ボージェルです。

この雑誌の最大の特徴は、新進のイラストレーターが描いたデザイン性の高いイラスト。
それを特漉きの高級紙にポショワールと呼ばれる版画技法で刷り、それまでのモード雑誌とは違う新しいスタイルを打ち出したのです。

イラストを手がけたのは、当時のファッションデザイナー(ポール・ポワレやジャンヌ・ランバンら)の最新コレクションをモダンエレガントに描き上げたジョルジュ・ルパップやピエール・ブリソーなどのイラストレーターたち。
『ガゼット・デュ・ボン・トン』は、有閑階級の教養ある婦人女性たちの間で瞬く間に人気となりました。

ポショワール版画で制作されたファッション・プレート
おしゃれな企業広告ページ


ヘアスタイル・アレンジの特集


<額付販売作品一部>

また、イカールやデュフィもこの雑誌に挿絵を多く寄稿。
当時の有名ファッションデザイナーであるポール・ポワレに生地のデザインを提供していたデュフィは、一時モードの世界と密接な関わりを持ちました。
1920年第1号と4号の『ガゼット・デュ・ボン・トン』では、デュフィの特集号を制作。
デュフィらしい軽やかなタッチの瀟洒な装いのドレスが読者を楽しませたことでしょう。
(弊社が取り扱うデュフィ作品一覧はこちら

<額付販売作品一部>

「モード・クロッキーⅥ」
「モード・クロッキーⅣ」
「モード・クロッキーⅤ」


当店では、この『ガゼット・デュ・ボン・トン』の原本を多数所蔵しております。
ファッション事情だけではない、当時の風俗を知ることのできる大変貴重な資料で、芸術性の高いイラストの額装はインテリアとしても大変人気です。

服飾史の重要な転換期を物語る『ガゼット・デュ・ボン・トン』。
100年近く経過した今見ても全く古さを感じさせないシックな装いの数々で、今も私たちを魅了してやみません。

デュフィによる『ガゼット・デュ・ボン・トン』全在庫一覧はこちら

(R・K)