【2月企画展開催予告】ギャルリー・アルマナック吉祥寺「19世紀絵画・工芸展」

ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」(1830年)

こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。

さて、冒頭のこの一枚。
フランス・ロマン主義を代表する画家ウジェーヌ・ドラクロワ作「民衆を導く自由の女神」(1830年)。
日本の教科書などでも登場する、よく知られた絵画の一つですね。

この作品が描かれた背景を簡単に説明しますと・・・
舞台は、国王が絶対的な権力をふるう「絶対王政」により人民を掌握していたフランス。
その数百年にわたる抑圧的な支配体制に反発した市民が立ち上がり、1789年に勃発したフランス革命により王政が完全に崩壊。
しかし、その後もナポレオンによる帝政や王政復古など不安定な政治体制が続いていました。
ついには1830年、不満を爆発させた民衆たちが再び蜂起。
これが、再度王政を打倒することになる「七月革命」です。

「民衆を導く自由の女神」は、この歴史的事件「七月革命」に触発されてドラクロワが描いた作品。
もちろん、作品の意図は”自由”や”民主主義”の主張にあったでしょう。
しかし同時に、こののち市民社会の発展とともに歩調を合わせて展開していくことになる、激動の19世紀美術界をも暗示している作品のような気がしてなりません。

<新古典主義>ダヴィッド「ホラティウス兄弟の誓い」(1784年) <アカデミズム>カバネル「ヴィーナスの誕生」(1863年)

ドラクロワがこの絵を手がけた時代の前後。
それは前世紀より続く美術様式である「新古典主義」がいまだ伝統的な美術界の頂点にありながらも、個性や主観を表現したいエネルギッシュな若い画家たちの鬱憤が高まっていた時期でした。

この「新古典主義」様式とは、18世紀フランスの享楽的な政治や文化の象徴であった「ロココ芸術」に反する精神で誕生したもの。
古代ギリシャ・ローマを規範とする、理知的で均整の取れた秩序の画面構成が特徴的で、その時勢に折しも重なった古代ローマの町ポンペイ遺跡の発掘は人々の関心を大いに引きつけました。
代表的な画家は皇妃ジョゼフィーヌに戴冠するナポレオンを描いたことで知られるダヴィッドなどで、革命後のナポレオン帝政下でも継承された絵画スタイルです。
「新古典主義」の理念は、その後由緒ある美術教育機関などの教えとして引き継がれ、歴史画や神話画を主題に理想化した美を描く「アカデミズム」様式へと変化していきました。
正当な教育に裏打ちされた高い技術水準で描く陶器のように滑らかな質感の人肌表現が特徴で、19世紀後半にはブグローやカバネル、ジェロームといった芸術アカデミーの重鎮たちが活躍します。

<ロマン主義>

ジェリコー「メデューサ号の筏」(1819年)

 

しかし、保守的で堅苦しい様式への追従に一部の若い画家たちが反発。
産業革命や市民革命、弾圧などで急激に変化する社会情勢への不満もあり、主観的な感情で創造的に物事を描こうとする「ロマン主義」が台頭します。
ドラクロワやジェリコーなどがこの「ロマン主義」を代表する画家。
ドラマティックな筆致や溢れた色彩、動きのある構図はこの時代の空気感にも合っていたのでしょう。

そして、主観性の他に「ロマン主義」が尊重したもの。それが、現実のありのままの世界や自然への関心でした。
「新古典主義」や「アカデミズム」が推奨した”理想美”とは真逆の価値観は、その後誕生する「写実主義」や「バルビゾン派」、「印象派」へと引き継がれていきます。

<写実主義>クールベ「出会い」(1854年) <バルビゾン派>ミレー「晩鐘」(1859年) <印象派>モネ「印象、日の出」(1872年)

以後も後期印象派や新印象主義、象徴主義や世紀末主義、アール・ヌーヴォーなど20世紀に移りゆくまでの間に夥しい数の美術様式が登場。
それまでの世紀が100年に一つあるいは二つ、中世の時代に至ってはゴシック美術からルネサンス美術への移行に数百年を要したことを考えると、画家たちの表現欲に恐ろしいほど溢れた世紀であったと痛感しますね。

ギャルリー・アルマナック吉祥寺では来月、このめくるめく19世紀にフォーカス。
“今”を生きたそれぞれの画家たちの思いがみなぎる絵画・版画作品と合わせて、陶磁器やガラス工芸品も多数出品を予定しております。
2月の特集に是非ご期待くださいませ。

(R・K)