長谷川潔「小鳥と胡蝶」のご紹介

長谷川潔「小鳥と胡蝶」(1961年 マニエル・ノワール)

こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。

今月、歌舞伎座にて開催された「壽 新春大歌舞伎」。
夜の部では歌舞伎界の立女形である坂東玉三郎さんが、艶やかでしなやかな吉原の遊女「傾城」の舞を演じられました。



そして劇中、俳優陣の素晴らしい演技力とともに、鑑賞者を惹きつけるのが様々な美術装飾や小道具の技。
「傾城」の幕では、ひらひらと彼女の周りを舞う蝶々の姿に、彼女が待ち焦がれる間夫の掴めそうで掴めない移りげな態度をほのめかすとともに、時の儚さをも象徴していたような舞台でした。

そんな移ろいやすさを秘めた傾城の蝶をどこか彷彿とさせるのが、本日ご紹介する長谷川潔の銅版画「小鳥と胡蝶」。
観る者をまずいざなうのが、目を離せば消えてしまいそうな黒の虚空に舞い漂う一対の蝶。
そして、その様子を静かに見守る小さな鳥。周囲には壁に生える蔦の葉と、おもむろに置かれた球。
この作品にはどんな意味が込められているのでしょうか。

青年時代の長谷川潔

長谷川が美術を志すようになったのは、元々病弱な体質により健康を害した高校受験の時。
以降、黒田清輝や藤島武二らから絵の手ほどきを受けながら、仲間らと美術同人誌の口絵版画などを制作するなど、当時最先端の西洋美術事情を吸収していた長谷川にとって、本場の技術習得のためフランスへの留学を決意したことは、自然なことであったかもしれません。 

渡仏後、様々な芸術に触れる中で長谷川が最も惹かれたのが、古典的な銅版画技法の一つ<マニエール・ノワール(メゾチント)>。
ビロードのような美しい質感に魅せられた若き長谷川は、当時すでに忘れ去られていたこの幻の技法を自ら復活させ、20世紀版画芸術界に確固たる地位を築きました。

マニエル・ノワール(メゾチント)技法の工程について、詳しくはこちら

フランス語で「黒の技法」の意味を持つその名の通り、
<マニエール・ノワール>の最大の特徴が黒から白への濃淡、その微細な諧調のみで表す世界観。

繊細な表現のため、細かく目立てを施す製版作業にまず膨大な労力を要し、さらには熟練職人でも一時間に4枚ほどしか刷れず、この工程でも気の緩みは許されません。
また、刷りを繰り返すことで起きる版の摩耗が他の版画技法に比べて激しいため、100部以下という稀少部数での制作が多いのも特徴。

長谷川の場合はさらに、黒インクの質や種類にも徹底的にこだわり、また信頼する刷り師と綿密に連携しながら作業を丁寧に行なったため、他の版画家らと比較しても特に制作部数が少ないのもうなずけます。

そうして創り上げた精妙な黒の世界に浮かぶ「花」や「鳥」、「蔦」など自然界のモチーフたち。
こうした自然界の生命を好んで描写した長谷川の作品の背景には、創作活動の転換となるほど、強く衝撃を受けたというあるエピソードの影響が垣間見れます。

それは、戦時下のパリ近郊をいつものように散策中のこと。
突然、見慣れた老木が長谷川に「ボンジュール!」と話しかけてきたそうです。
長谷川はその時の様子を、こう記しています。
「一本の樹木が、燦然たる光を放って私に語りかけてきた。(中略)
すると、その樹が、じつに素晴らしいものに見えてきたのである。立ち止まって、私はその樹をじっと見つめた。そして、よく見ると、その樹が人間の目鼻だちと同じように意味を持っていることに気づいた。(中略)人間とは友であり、上でも下でもないこと、要するに万物はおなじだと、気づかされたのであった。(中略)その時以来、私の絵は変わった」
(長谷川潔文集『白昼に神を視る』(1982年)より)

この体験を元に制作した「ニレの木」(1941年)

この神秘的な出来事を境にして、長谷川は徐々に、夢か現か、いずことも知れぬ空間に浮かぶ生き物や静物を描写した作品に力を入れていきます。

人間と同じように個性があり、表情がある草花や動物たち。
長谷川は彼らの外観をただ写すのではなく、生命の本質というものに心の眼で迫ろうとしました。
結果として彼の作品の根源には、精神や宇宙、忠誠や愛、時間などの目に見えない抽象的な概念が隠されているとも言われています。

本日の作品「小鳥と胡蝶」。
限りある生命の一瞬を捉えながらも作品の奥底に眠るのは、時空を超えて普遍的に流れる生命の循環や輪廻、あるいはそれらが持つ神秘性そのものなのかもしれません。

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(R・K)