5月は「レオナール・フジタの子どもたち展」を開催予定です
こんにちは。
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『挿画本(そうがほん)』あるいは『挿絵本(さしえぼん)』という言葉は、
日本人にはまだそれほどなじみ深いものではないのかもしれません。
大量印刷・出版され流通するいわゆる「本」とは異なり、画家に依頼して描かれたオリジナル版画を収録し限定出版した書物のことで、
版画の質および書物の価値を高めるため、通常数百から数千部ほどの限られた部数しか発行されません。
さらにそうした限定部数の中から、数部だけには画家の肉筆作品がそれぞれつけられたり、
または高級な和紙で刷られた特別バージョンが収録されるものも登場。
芸術家や画商、そして生活に芸術を求め始めたブルジョワ市民層の間で、20世紀の挿画本市場は活況を呈しました。
デュフィ画「マドリガル」(1920年) | マティス画「ロンサール 愛の詩集」(1943年) |
一点もののいわゆる肉筆作品に比べて脚光を浴びにくい芸術分野かもしれませんが、
20世紀に生きた多くの画家が積極的に挿画本の制作に取り組みました。
レオナール・フジタ(藤田嗣治)もその一人。
挿画本という芸術について、こんな言葉を残しています。
“一言千金の名句、後世不滅の文章もその傑作は本によって伝えらるる以上、
その装幀はまた偉大なる芸術家によって、絵画の作品と同様、美術品として考案されなければならぬ。
世間に普及される数万の機械文明の産物と、限定された装幀になる逸品とを区別しなければならぬ”
(藤田嗣治随筆集「地を泳ぐ」より)
古くより存在はしていた挿絵入り書物ですが、20世紀に一気に花開いた挿画本の黄金時代は
アンブロワーズ・ヴォラールという人物の存在(1866-1939)なくしては語れません。
ヴォラールは、近代美術史において重要な役割を果たした20世紀最大の画商。
当時、まだ無名だったボナール、セザンヌ、ゴッホ、ピカソ、ゴーギャン、ルノワールなどを積極的に支援した先見の明の持ち主でした。
ルノワール「ヴォラールの肖像画」(1908)(1920年) | セザンヌ「ヴォラールの肖像画」(1899) |
ヴォラールは挿画本制作にあたり、絵画作品と引けを取らないほどの質とオリジナリティを挿絵に求めました。
彼がプロデュースを手がけた最初の作品は、ナビ派の画家ボナールが挿絵を描いた象徴派詩人ヴェルレーヌの「双心詩集」で、
耽美的な美しい文字に視覚的な世界観を添えています。
誰もが知る古典的な作品から現代小説まで、挿絵を描く画家が異なればその数だけ解釈や表現方法が生まれ、言葉と挿画の結びつきによる全く新しい芸術分野が誕生したのです。
挿画本を手がけたことのない画家はいないといってもよいほど1920年代には芸術界全体で「挿画本ブーム」が起こり、
稀少価値の高い美術品として版画芸術の地位は格段に高まりました。
藤田嗣治が生涯に手掛けた挿画本はおよそ50作。
晩年に至るまで非常に丁寧に力を込めて制作し、自ら所蔵した、どれも藤田自身が愛着を持った逸品ばかりです。
当時、パリで芸術を学んでいた日本人は何百人もいましたが、
藤田ほど質量ともに高い「挿画本の仕事」をしたものはいないと言われています。
また、日本古典、昔話、芭蕉の俳句、西洋文学、現代小説、官能的なものまで・・・
実に幅広いジャンルにまたがっているのも特徴的。
「FouFou(フーフー=お調子者の意)」という愛称で仲間たちから呼ばれ親しまれたように、
その高い社交性を活かし築いた文芸界や出版界における幅広い人脈ネットワークも
藤田の挿画本制作の業績に大きく寄与したことでしょう。
来月の展示では、藤田が制作した挿画本作品の中から、
晩年の傑作「小さな職人たち」に収録された全21版画の他、藤田嗣治が描いた子どもたちの絵約30点を出品。
子どものなかった藤田は晩年、自分の描く子どもが愛する自分の子どもであるとよく語っていました。
藤田が描く子どもたちの姿は、ぱっと見て藤田の作品だとわかる画一的な特徴がありながら、
皆それぞれに愛嬌と個性がある不思議な魅力で溢れています。
来月の展示をどうぞお楽しみに!
【開催期間】 5/3(火)~5/31(火)
(R・K)