ゲスト 様
トップ > デュフィ > 挿画本 > 『ヴァカンス・フォルセ』 > ラウル・デュフィ 「モンソネスの私たちの庭で」 絵画・版画 > 主な海外作家 > デュフィ > 挿画本 > 『ヴァカンス・フォルセ』 > ラウル・デュフィ 「モンソネスの私たちの庭で」 絵画・版画 > タ行 > デュフィ > 挿画本 > 『ヴァカンス・フォルセ』 > ラウル・デュフィ 「モンソネスの私たちの庭で」 絵画・版画 > ≫価格ライン(絵画) > A : 10万円未満 > ラウル・デュフィ 「モンソネスの私たちの庭で」 絵画・版画 > 技法で選ぶ > 木版画(板目,木口木版 他) > ラウル・デュフィ 「モンソネスの私たちの庭で」 絵画・版画 > 近・現代絵画(20世紀以後) > フォービスム > └ デュフィ > ラウル・デュフィ 「モンソネスの私たちの庭で」
0 円(税込)
≫ 目安の価格はページ上部「価格ライン」を参照
≫ 付属品(専用箱、作品保証書など)について
[ 合計お支払い金額50,000円以上は配送料無料 ]
デュフィの生涯を通じての友人であった作家、ロラン・ドルジュレスによって1956年に出版された挿画本です。二人は1942-43年にかけて、フランス・オートガロンヌ(スペインよりの南、ペルピニャンの近く)のモンソネスにあるドルジュレスの別荘で過ごしました。当時のパリはドイツ軍の占領下にあったため、多くの芸術家達がパリを離れ、国外や国境近くの田舎に居を移していました。 占領下の暗い時代に、田舎の村に閉じ込められた気分であったため、この村での日々を「強いられたヴァカンス」と後にドルジュレスは名付けました。 喧騒を離れた田舎での滞在は、二人の創作意欲が最も充実した日々でもあり、互いにこの時期に多くの傑作を残しています。 本書は、1953年に亡くなったデュフィへの追悼の意を込めて没後三年目に刊行されました。 二人が別荘で過ごした間にデュフィが描き残した水彩や油彩の中から、ドルジュレスが24点の絵を選び、版画師のジャック・ベルトランの協力を得て、木版画集として完成させました。本文はドルジュレスによるもので、デュフィと共に過ごしたモンソネスが述懐され、親友へのオマージュが綴られています。
※ロラン・ドルジュレス Roland DORGELES (1885-1973)
フランスのジャーナリスト、作家。第一次世界大戦に従軍した体験に基づいて書いた『木の十字架』で1919年にプルーストとゴンクール賞を争って敗れるが、権威あるフェミナ文学賞を受賞。愛国的反戦作家として、多くの文化人の支持を得た。
★ ぜひブログも併せてお読みください。
フランスのノルマンディー地方の港町ル・アーヴルに生まれる。市の奨学金を受け、パリの国立美術学校へ。マティスの色彩に衝撃を受けフォーヴィズムに傾倒。1910年、アポリネールの『動物詩集』の木版挿画を制作。1911年、服飾デザイナー、ポール・ポワレと知り合い、織物のデザインを開始。1912年、高級織物会社ビアンキーニ・フェリエ社と契約し、テキスタイル部門のアートディレクターに。1928年、ドーヴィルで競馬やレガッタのシリーズに着手。1937年、パリ万博の為の壁画「電気の精」を制作。1940年、ドイツ軍のパリ占領後、南仏へ避難。1953年、死去。 デュフィは透明感のある色彩と軽やかな筆触で音楽、海、馬、花々…など様々なモチーフを描いた。また、本の挿絵、舞台美術、テキスタイルデザイン、タペストリー、陶器など多数のジャンルで傑作を残している。
ラウル・デュフィ 「カシスの昼食」
ラウル・デュフィ
99,000円(税込)
ラウル・デュフィ 「モンソネスの車大工」
66,000円(税込)
ラウル・デュフィ 「書斎の中の作家」
ラウル・デュフィ 「脱穀所の農夫たち」
ラウル・デュフィ 「置き去りにされた荷車」
ラウル・デュフィ 「麦刈りを終えて」
55,000円(税込)
ラウル・デュフィ 「卵のバスケット」
77,000円(税込)
ラウル・デュフィ 「レステルの納屋」
ラウル・デュフィ 「モンソネスの脱穀」
ラウル・デュフィ 「アスペのデュフィの家の窓」
0円(税込)
ラウル・デュフィ 「レステルの農家」
ラウル・デュフィ 「木と雌鳥」
ラウル・デュフィ 「旗めくアスペ」
ラウル・デュフィ 「フランスの村」
ラウル・デュフィ 挿画本『ヴァカンス・フォルセ』
100,000,000円(税込)