モチーフで読み解くシャガールの世界①

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“マティスが死んだら、色彩とはなんであるかを知っている画家はシャガールただ一人になるであろう。彼のキャンバスに描かれているのは本物の色彩だ…”
友人ピカソがこう評したのは、20世紀エコール・ド・パリを代表する画家マルク・シャガール。
幾重にも折り重なる色彩が乱舞する彼の作品は、明るく喜びに満ちたものから悲壮感漂うものまで、その色彩をなくしては語れません。
そして、97年という長き人生における思い出を記した「絵日記」だと画家自身が称する作品たちは、まるで重力から解放されたように空中を舞う動物たちや恋人たち、小さな村の情景に溢れています。
ダイナミックに次々と生み出された20世紀美術のどの流派にも頑として属さず、己の精神世界を絵画に託したシャガール。
繰り返し登場したそのモチーフたちにはどのような意味が秘められていたのでしょうか。
本日は、その一端を紐解いてみましょう。
① 魚
1887年7月7日、現ベラルーシに位置する田舎町ヴィテプスクで9人兄弟の長男としてモイシェという名で生を授けられたシャガール。
父ザハールはニシン商人の下で働き懸命に生活費を稼ぎ、母イタは小さな食料品店を営みながら、3つの小屋を賃貸して家計の足しにするなど一家を切り盛りしていました。
その貧しくつつましやかな暮らしで少年シャガールが見てきたのは、日々の重労働で疲れ切った父の姿や、皺だらけになった彼の手。
そうしたイメージは信心深く物静かであった父の記憶としてシャガールの心に刻まれ、やがて父へのオマージュを込めた魚のモチーフとしてシャガールの絵画の中で生き返りました。
② ヴァイオリン弾き
家畜商人であった叔父ノイクは、仕事を終えた後よく屋根の上で足を組みながらヴァイオリンを弾いたそうで、シャガールは叔父の思い出としてこのモチーフを度々描きました。
叔父が大好きだった彼は家畜の買いつけのためにしばしばともに小旅行に出向き、その様子を収めた「家畜商人」という大作も残しています。
またシャガール一家が信仰したユダヤ教一派「ハシディズム」には、音楽や舞踊を通じて霊性とつながることで心の豊かさを得るという教えがあり、敬虔な教徒であったシャガールは音楽を奏でる叔父の姿にその信仰心を重ねたのかもしれません。
③ 家畜や牛
シャガールの作品に欠かせないモチーフの一つは、やはり家畜や牛など動物たちの姿でしょう。
これらはもちろん、彼が愛した故郷の村ヴィテプスクで見られるごく普通の牧歌的な風景を描いたものではありますが、その情景はまた二度の大戦や革命、迫害、亡命など多くの苦難を味わいながら歴史に翻弄された画家が想い続けた「心のユートピア」であったとも言えましょう。
④ 恋人たちと花束
シャガールはベラ=ローゼンフェルトという裕福なユダヤ人宝石商の娘と28歳の時に結婚。
パリやロシア、ドイツでの別離を乗り越えて愛を育みます。
シャガールにとってベラは人生の伴侶であり、またミューズであり、彼の人生と絵画に光を照らす安らぎそのものでした。
シャガールはその時間をいつまでも愛おしむかのように“幸福と調和”を象徴する愛し合う恋人たちのモチーフを終生繰り返し描きました。
また、花束や花瓶も彼が描いた重要なモチーフの一つ。
何でも二人が友人を介し1909年に初めて出会ったとき、ベラが小さな花束を持って現れたそうで、一目見て恋に落ちたシャガールはそれ以降“花”に特別な想いを抱き絵筆に込めたのです。
その人生において、詩人や作家たちと親交を深めたというシャガール。
詩的感覚に貫かれた夢幻の世界の魅力を後編でもたっぷりご紹介していきます。
現在、アトリエ・ブランカ吉祥寺店では「パリを愛した画家たち」(2月26日まで)を開催しております。
シャガール作品も多数展示中ですので、この機会にぜひお立ち寄りください。
(R・B)
(参考文献)
https://artsproutsart.com/symbols-and-characters-in-chagalls-art/
https://www.arsmundi.de/en/marc-chagall-collection-les-bouquets-de-fleurs-by-bernardaud-bowl-platter-porcelain-909096/
ヤコブ・バール=テシューヴァ著「シャガール」(TASCHEN)