イットヴィルのイカール邸

こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。

今月の特集ルイ・イカール展 ~アールデコを彩るパリジェンヌたち~にはもうお越しいただきましたでしょうか?
美しくファッショナブルなだけでなく、それぞれに個性的な女性たちの魅力をぜひご堪能ください!

イカールの描く女性像。
そのモデルが最愛の妻ファニーであったことは広く知られていますね。

1914年、18歳のファニー・ヴォルメールと恋に落ちたイカール。
「ファニーは美しいという以上の存在だった」と後年回想しています。
この時既にイカールは結婚していましたが、ファニーとの愛はその後、死が二人を分かつまで貫かれることとなります。

第一次世界大戦が勃発し、従軍したイカールにファニーはほぼ毎日手紙をしたためました。
翌1915年夏、二人の間に女の子が誕生。
名を“レーヌ(王妃)”と名付けます。

この頃、ファニーはイカールのエッチングを取り扱ってくれる画廊を探すために奔走。
戦争をテーマとした作品を手掛けていましたが、大戦終了後は主題を女性像に絞っていきます。

徐々にアメリカからも注文が入るようになり、1920年、家族はパリ郊外のイットヴィルに土地と邸宅を購入。
娘の名を冠しこの家を“メゾン・ド・ラ・レーヌ”と呼びました。

イカールはアトリエに手動の銅版画プレス機を備え、制作に励みます。
ファニーは庭園でガーデニングを楽しみ、その姿はイカールにさらなるインスピレーションを与えました。

ここでチャウチャウやグレイハウンド、ボルゾイ、ダックスフントなどの犬のほか、小鳥や猿なども飼われたそう。
イカールの絵画にたびたび登場するワンちゃんは実際の家族でもあったのですね!
とてもにぎやかな暮らしが想像できます。

 

イットヴィルのイカール邸は4ヘクタールの敷地を持ち、人工的に池などを設えたのだとか。
1925年にパリ市内にも拠点を持ちましたが、週末はいつもイットヴィルで過ごしたとのこと。
ここでの自然に囲まれた生活がイカール作品に影響を与えたことは言うまでもありません。

 

第二次世界大戦が始まり、銅板が入手が不可能となったイカールはイットヴィルの家に引きこもり、油彩の制作に打ち込みます。
“沈黙の館”(Maison du silence)と呼び変えられたのはこの頃とされています。
戦後間もない1950年に亡くなったイカールはイットヴィルの共同墓地に埋葬されました。

イカールが愛してやまなかった家族と動物たち。
今も彼の作品の中で生き生きと輝いています。

(K・T)