長谷川潔 魅力ある<装幀>の世界

井の頭池の現在の姿

こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。

ギャルリー・アルマナック吉祥寺にほど近い井の頭公園では、昨年末から池のかいぼり作業が行なわれています。
池の水を抜いて水質を改善することが目的だそうですが、水の張った普段の美しい池が思いだせないほど異様な光景が広がっています。

長谷川潔「水浴の少女と魚」

 

そうした一種霊的なものを目にすると、人間の脳は時として超常的な想像力を持つのでしょうか。

まるで長谷川潔の描いた少女が水の中から立ち現れるような・・・
そんな神秘的な気分にさせてくれるようです。

その「長谷川潔」といえば、パリで生み出した神秘的な漆黒の銅版画が有名ですね。
しかし、渡仏前の数年間には、本の装幀という仕事にも深く情熱を注いでいたのをご存じですか?

そのきっかけは何だったのでしょう。

長谷川が芸術の道を志したのは1910年、19歳のころ。
西欧の文化が流入していたこの時期に多感な青年時代を過ごした長谷川は、岡田三郎助や藤島武二に師事し洋画を学ぶかたわら、自画自刻で制作する創作木版画という分野に強い関心を持ち始めます。

木版画の他にも、日本で銅版画を教えていたイギリス人バーナード・リーチに、エッチングの手ほどきを受けるなど、熱心に版画技術全般を習得していきました。

また、当時長谷川が弟と暮らした東京都大田区山王(通称、馬込文学圏)界隈は、多くの文学青年達が集い、作家や画家ら芸術家仲間との交流が活発だった場所。
彼らとの知己により、ついに1913年チャンスが訪れます。
文学雑誌『聖盃』(のちに『假面』に改称)の表紙絵で版画デビュー。
その後も数多くの表紙絵を木版画で手がけるようになりました。


「本」という小さな画面ながらも、そこには装飾性あふれる作品が詰まっており、若き青年22歳の長谷川が同世代の文学人たちと刺激的な創作活動をしていた様子が伝わりますね。

大正13年に発行された『婦人グラフ』 表紙木版画にはビアズリーの作品が使用されています

 

当時、日本に徐々に紹介されてきていた西洋美術思潮の中でも、とりわけオーブリー・ビアズリーの美しい黒の線描に惹かれていたという長谷川。
そのビアズリーからの影響もあるのでしょうか。
インパクトのある線で描かれた表紙絵を描く長谷川の元には、雑誌の表紙絵のみならず、文学者や詩人などから装幀の依頼が次々と舞い込んでくるようになりました。
明治の後半から大正時代にかけてのこの時代、「文芸」と版画などの「視覚芸術」は密接に関わりあっていたのです。

日夏耿之介(1890-1971)

 
こうした文学者や画家仲間らとの多彩な交流の中でも、渡仏後も変わらず親交を深めたのが詩人・日夏耿之介(1890-1971)。
その日夏との出会いにより、長谷川の装幀や挿画の仕事は更なる進化を遂げ、紙の選定から木版画における白黒色の配分など細部に渡ってこだわり抜いた芸術品が生み出されていきます。
ちなみにこの「紙」や「黒色」、ひいてはその黒を表現するインクへの徹底したこだわりは、長谷川がのちにフランスで技法を開発・確立したマニエール・ノワール版画に生かされていくこととなりました。

その日夏耿之介とのコラボレーションで誕生した作品が『日夏耿之介詩集』。
1925年に全3巻限定330部の詩集本として出版され、長谷川が手がけた計15枚の木口木版画カットや銅版画(エッチング)が収録されました。
象徴派詩人と評された日夏耿之介の詩編と、妖しくも美しい黒の魔法を放つ長谷川版画の世界観が見事に融合した逸品です。

長谷川潔「第三巻・挿画1」
(日夏耿之介定本詩集より)
1925年・エッチング・ED330

長谷川潔「第三巻・挿画3」
(日夏耿之介定本詩集より)
1925年・エッチング・ED330 

長谷川潔「クリスマスの夕べ」
1953年・ビュラン・EA・自筆サイン入り

当店で現在開催中の「海を渡った三人展 ー 藤田嗣治、長谷川潔、浜口陽三 ー 」では、本詩集から2点の挿絵を展示。

その他、長谷川が手がけたユニークな年賀状やクリスマスカードなど新入荷の作品も合わせてご覧いただけます。
初期から晩年までその画業を網羅した、本展をどうぞお見逃しなく。
皆さまのご来廊をお待ちしております。

会期は2/28(水)まで。

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(M・M)