美しい19世紀古版画制作の仕掛け人「グーピル商会」

ルネ・ラリックとルドリュの娘アリス

こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。

先日のブログで取り上げたブロンズ彫刻、オーギュスト・ルドリュの「地中海のヴィーナス」

その中で、ルドリュとガラス工芸家のルネ・ラリックが、娘の結婚を通して義理の親子関係であったという面白いエピソードをご紹介しました。

ルドリュ家とラリック家が姻戚関係にあったように、この頃の芸術家たちと彼らを取り巻く人物たちの間には、意外な血縁関係も多々存在します。

19世紀の美術学校で模範的な絵画様式とされた「アカデミズム様式」を代表する巨匠画家、ジャン=レオン・ジェローム(1824-1904)と、妻マリー(1840-1912)の関係もその一つ。

ジャン=レオン・ジェローム 妻マリー

彼女は、当時精力的に事業を展開していた美術商「グーピル商会」の創業者である、アドルフ・グーピル(1806-1893)の愛娘でした。
さらに、彼らの間にできた娘もまた、グーピル商会ののちの共同経営者と結婚しています。

何世代にもわたる強い血縁関係で盤石な経営体制を築き上げていった「グーピル商会」。
一体どのような企業だったのでしょうか。

アドルフ・グーピル

その始まりは1827年に、アドルフ・グーピルがモンマルトルで開業した小さな画廊。
彼は、ドレスデンに版画工房を構えるドイツ人美術商ヘンリー・リトナーと事業提携するなど、積極的にビジネスを拡大。
1850年にGoupil & Cie(グーピル商会)を設立します。
非常に社交的で商才に長けた人物だったのでしょう。
ヨーロッパ各国に人脈を持ち、その一人はオランダで版画販売を手がけていたヴィンセント・ヴァン・ゴッホなる人物。
何とあの有名画家と同姓同名を持つゴッホの実の叔父で、セント叔父さんの愛称で親しまれた画商でした。 

そうした叔父の縁もあり、弟のテオがグーピル商会のハーグ支店に入社。
続いて、兄のヴィンセントもグーピル商会に就職し、画家の道を目指して辞める1876年まで、二人はロンドンやブリュッセル、パリなどを飛び回り忙しくも充実した日々を送ったようです。

画家ゴッホ(兄ヴィンセント) オペラ座通りのパリ本店 弟テオ

さて。
ゴッホ兄弟とグーピル家の娘たちとの縁談は(残念ながら?)なかったようですが、グーピル商会の安定的な経営手法の一つが前述したような婚姻関係・親戚関係であり、20世紀初頭にレオン・ブッソの息子が亡くなるまで親類による経営が続けられました。

その後の同社の歴史を簡単にご紹介します。

1878年
創業者アドルフ・グーピルとともに、義理の息子レオン・ブッソ(1826-1896)と、義理の孫にあたるルネ・ヴァラドン(1848-1921)が共同経営者となる

1884年
グーピル家が経営から完全撤退し、社名をBoussod, Valadon & Cieに変更(ブッソ・ヴァラドン商会)

1897年
レオン・ブッソの息子ジャン、ミシェル・マンツィ、モーリス・ジョワイヤンが経営に参画
※マンツィはドガやロートレックの友人で、1881年頃入社した人物
※ジョワイヤンはテオの後任としてグーピル商会パリ本店の店長となった人物

1907年
ジャン・ブッソの死去に伴い、マンツィとジョワイヤンが経営を引き継ぎ、Manzi, Joyant & Cieと改名(マンツィ・ジョワイヤン商会)

そして1920年。

約100年間続いたグーピル商会は残念ながらその歴史に幕を下ろすことになりました。
しかし、絵画を単に売り買いする美術商としてだけの役割にとどまらず、美術出版業者として彼らが世に残した偉功は計り知れません。

ちょうどそれは、産業革命の発展により資本経済が活発化し、古典絵画や芸術などを気軽に楽しみたい中産階級の市民が増えていた時代。

そこでグーピル商会は、古典名画から印象派などの現代作品にいたるまでを美しい銅版画に復刻制作・販売することで、室内に絵を飾りたい市民の需要に応えたのです。

レンブラント「夜警」
アングル「ヴィーナスの誕生」
ブグロー「天上の魂」

弊社では、ダ・ヴィンチ、レンブラント、ブーシェらオールドマスターから、ミレー、コロー、ブグロー、アングルら19世紀巨匠画家たちの傑作名画まで、グーピル商会が当時監修・制作した版画作品を数多くお取り扱い。
趣きあるインテリアにおすすめの作品です。
⇒収蔵作品の一部はこちら

また、以前ご紹介した『ボッティチェリ版画集』も、1907年にグーピル商会が出版した作品です。

ところで、1920年に解散後。
グーピル商会が手がけた版画コレクションや在庫などはどうなってしまったのでしょう。

実はとても幸いなことに、ボルドー地方のある商人が解散時に在庫のすべてを購入。
1987年に亡くなるまで、それらを大切に保管してくれていたのです。
彼の死後、孫息子が全コレクションをボルドーの町に寄贈。
それを受けて1991年に創設されたグーピル美術館の管理運営のもと、その偉大な功績と貴重な遺産は今も忘れ去られることなく伝え継がれています。

(R・K)