パリの百貨店がプロデュースした19世紀末の瀟洒なカレンダー

こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。

少し前の話にはなりますが、練馬区立美術館で「19世紀パリ時間旅行」展が開催されました。
花の都・パリが今日のように美しく整備された姿になる前。
“パリ大改造”と呼ばれる大規模な都市開発を境に街並みが大きく変化する、19世紀中頃以前のパリはどのようであったのか。
パリという歴史ある都市の変貌を、民衆の身近な生活景観の移り変わりからたどる興味深い企画展でした。 

同展の広告ポスターは、パリ大改造時当時に活躍した画家アドルフ・マルシアルが、その失われつつある景観をこの世にとどめようと、パリのここかしこで捉えた300枚に及ぶ銅版画の一作。
何の変哲もないように思える今は無きその路地裏に、妙に郷愁感を掻き立てられる一枚です。

狭い袋小路であるロラン=プラン=ガージュ通りの奥から、向かいの通りに開けた広場を眺めている視点で描かれており、広場の向こうには、老舗百貨店「ピグマリオン」の看板も見えます。
この場所があったルーブル美術館のある1区周辺は、元々活気溢れる界隈だったのでしょうか。

産業革命の進展によって、多くの商品が市場に流通するようになった19世紀当時。
多様な雑貨や流行装身具を取りそろえた大型小売商店である”百貨店”が誕生。
マルシアルが描いた「ピグマリオン」の他、「ボン・マルシェ」や「ラ・ファイエット」、「プランタン」、「ドゥー・マゴ」などが次々と登場していきます。
その厳しい競争の中で、残念ながら今は姿を消してしまいましたが、「ベル ジャルディニエール」という名の百貨店も兼を競ったデパートの一つ。

ベル ジャルディニエール

 

「美しい女庭師」というラファエロの絵画作品と同じ名を持つこの百貨店は、ピエール・パリソが1824年、シテ島に創業しました。
オーダーメイドの仕立服からレディメイドの既製服が一般的となる過渡期に、男性用の質のいい既製服などを中心にリーズナブルな価格で提供。
病院の建設事業により1866年にポン・ヌフ近くへ移設されましたが、1970年代まで営業が続けられた名百貨店でした。

当時、それぞれの百貨店はライバル店との競争に勝ち残るため、あの手この手で人々の心をつかむ戦略を次々に考案します。
その戦略の一つで当時人気だった集客法が、各店のオリジナル特典の配布。
街頭配布向け、新規顧客向け、お得意様向けなど様々な用途で制作されました。

「ボン・マルシェ」のカード
「ボン・マルシェ」のカード(上が表、下が裏)

各百貨店が打ち出した数ある販促品の中でも特に秀逸なのが、「ベル ジャルディニエール」がプロデュースした1896年用カレンダー。
各月に描かれたのは、季節の花や木に囲まれ庭を手入れする12人の優雅な女庭師たち。
アール・ヌーヴォーのポスター画家ウジェーヌ・グラッセが手がけました。
その後、グラッセの原画をもとに、木版画職人たちが一枚一枚丁寧に摺り上げ、12枚1組のカレンダーとして得意客のもとへと届けられたのです。

 

1月 2月 3月
4月 5月 6月
7月 8月 9月
10月 11月 12月

エレガントな12人の女性たちがまとう色とりどりのドレス。
実は、ある仕掛けが施されているのですが、皆様お分かりですか?
よく見ると、ドレスの柄が黄道十二星座のシンボルマークになっているんですね。
グラッセの粋な遊び心が添えられたのでしょうか。
ちなみに、当時のカレンダーは現在のような都合を書き込むスペースは設けられず、各日にちの曜日と守護聖人が書かれた大変シンプルなものが主流でした。

さて、このカレンダーが世に出回った1896年。
まるで、芸術性の高いこの作品が予言したかのように、新しい年は後世に残る名作が多く生まれる豊穣の一年になったようです。
ミュシャやロートレック、スタンランなどが手がけたポスターや広告が街中に溢れ、アール・ヌーヴォー最盛期の芸術に着飾られた華やかなパリ。

 

スタンラン「シャ・ノワール」(1896年) ミュシャ「サロン・デ・サン」(1896年)

 

「ベル ジャルディニエール」のカレンダーを眺めていると、この時代のパリにタイムスリップしたような、そんな気分にさせてくれます。

(R・K)