【軽井沢店】「パリの異邦人 レオナール・フジタとアルフォンス・ミュシャ展」開催中!

こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。 

昨日からお盆休みに入られた方も多いと思います。
晴れが少ない週間予報となっていますが、雨の軽井沢も情緒があっておすすめですよ。

軽井沢店では「パリの異邦人」と題し、藤田嗣治アルフォンス・ミュシャの2人を特集展示中。
皆様のお越しをお待ちしております。

1900年のパリ万博

パリの歴史は約2500年前のガリア人の集落から始まり、ローマ時代、中世と都市化が進みます。 
1850年代にナポレオン3世のもと、ジョルジュ・オスマンによって生まれ変わったパリは、1900年までに万国博覧会を5回開催するなど、芸術の都としての名声がこの上なく高まっていきます。

こうしてベル・エポックからエコール・ド・パリの時代にかけて黄金時代を迎えたパリには世界各国から芸術を愛する者が集まり、その中にミュシャやフジタもいました。

アール・ヌーヴォーを代表する画家と言えばやはりミュシャの名が誰よりも先に挙がりますが、エコール・ド・パリ(第一次会大戦後、パリに集まった主に外国人画家たち)では沢山の画家の名前が浮かびますね。
ローランサン、ユトリロ、モディリアーニ、パスキン、フジタ、キスリング、スーチン…
それぞれの画家の豊かな個性に驚かされます。

ローランサン「ばら色の扇」 ユトリロ「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」 パスキン「貴賓席」

これらの画家たちの出身地は、フランス出身のローランサン以外にイタリア、ブルガリア、日本、ポーランド、ロシア…
さまざまな国の文化を背負った若者たちがこのパリで出会い、互いに影響を受けながらも、独自の画風を追求していったのがこの時代の特筆すべき点です。

藤田嗣治は1913(大正2)年にパリに移住し、1920年代にはパリ画壇の寵児と呼ばれるほどの活躍を見せます。

代表的な藤田作品といえば女性や猫のモチーフですが、渡仏当初はパリの風景画を数多く描いていたそう。

本作は戦争のため一度離れてからふたたび戻った1950年にパリで描かれた「エドガー・キネ大通り」。
油彩のために制作された素描の習作を現在軽井沢店でご覧いただけます。
パリに対するフジタの想いが伝わってくる作品です。
作品ページはこちら

1901年 ミュシャデザインによるフーケ宝飾店内

この作品から時を巻き戻すこと50年。
この頃ミュシャは、宝飾商ジョルジュ・フーケに新規店舗のデザインを一任されました。
店舗は1923年に改築されるまで使われていたとのことなので、もしかしたら1913年にパリにわたった藤田が来店した可能性もあるかもしれませんね。
店舗取り壊しの際にフーケが保管した部材は、そのまま保存され、現在はパリにあるカルナヴァレ美術館で再現された店内を見ることが出来るそうです。

ミュシャもフジタも異邦人でありながら、フランス人以上にパリでの名声を手に入れましたが、フランスに迎合するのではなく、自国の伝統や文化への誇りを持ち続けました。

今年初めて揃って来日した「スラヴ叙事詩」はご覧になられた方も多いと思います。
スラヴ民族の一員としてのミュシャが魂を込めた作品群でした。

一方、フジタは敗戦後に従軍画家の戦争責任を糾弾され、再度フランスへ渡ります。
「私は、フランスにどこまでも日本人として完成すべく努力したい」
その後、日本国籍を捨て去り、フランス人となったレオナール・フジタの言葉から計り知れない重みを感じずにはいられません。

「パリの異邦人 レオナール・フジタとアルフォンス・ミュシャ展」は9月10日まで開催。 
軽井沢散策の途中にぜひお立ち寄りいただき、古き良きパリの風に吹かれてみてはいかがでしょうか。

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(K・T)