藤田嗣治×ジャン・コクトー『海龍』のご紹介
こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。
先日放送のテレビ番組「美の巨人たち」では、平櫛田中が手がけた木彫像「鏡獅子」が特集されていましたね。
1936年に制作依頼を受けた田中は、六代目・尾上菊五郎演じる鏡獅子の姿をあらゆる角度から観察するため、25日間劇場に通いつめたといいます。
絢爛豪華な衣装を身にまとい、長い毛を豪快に振り乱して踊る獅子の姿は田中の創作意欲を大いに刺激したことでしょう。
さて、同じ1936年という年。
同じ六代目・尾上菊五郎演じる同じ舞台「春興鏡獅子」を観劇し、同じように強く影響を受けた有名な人物がいたのをご存知ですか。
それが、フランスの詩人ジャン・コクトー。
当時コクトーは、友人とともに80日間に及ぶ世界一周旅行の旅路の途中で、ギリシア、エジプト、インドを経て神戸に到着。
11日間、日本に滞在していたのです。
そしてその滞在時に案内役を務めたのが、当時日本に生活の拠点を戻していた藤田嗣治と、翻訳者の堀口大學。
今考えれば、何と華々しい顔ぶれでしょう。
1910年代からコクトーと交友のある藤田にとっては、まさに願ってもない再会。
少ない滞在時間を存分に楽しんでもらおうと用意したおもてなしの一つが、尾上菊五郎の新歌舞伎十八番「春興鏡獅子」だったのです。
その他、明治神宮参拝や、国技館での相撲鑑賞、浅草の映画街に吉原の遊郭も楽しんだというから、コクトーが初めて体験した日本の文化はきっと鮮烈に心に残ったに違いありません。
旅から帰ったコクトーは、早速1937年に旅行記を刊行。
訪れた国々で味わった思い出をコクトーならではの視点で描き出しました。
この原著を藤田自身も手に入れたのは言わずもがな。
しかも、藤田は旧蔵した同書の日本に関するページの随所に、小さなデッサンや書き込みを数多く残していたのです。
その何気ないスケッチや走り書きが、構想の基となったのかもしれません。
旅行記出版から約20年後の1955年。
一冊の芸術作品が新たに命を吹き込まれました。
それが、本日ご紹介する挿画本『海龍(La Dragon des mers)』。
コクトーの旅行記から、日本にまつわるテキストを抜粋し、12の章へと再構成した作品で、藤田は友人のために25点の挿絵を特別に描き下ろし。
感受性溢れるコクトーの言葉に、藤田の生き生きとした線描が小気味よく重なり合い、ジャン・コクトーと藤田嗣治の合作による瀟洒な挿画本に仕立てられました。
制作年:1955年
出版元:ジョルジュ・ギヨ社
出版部数:175部
技法:ビュラン
本書はたったの175部という非常に少ない部数で限定出版され、収録された25点の挿絵は全て職人により銅版画で刷られたもの。
藤田が描いた素描を元に職人がビュランで銅版に直彫りし一枚一枚丁寧に刷られた後、ページ全体や文章を囲むように配置されるなどアレンジを加えて作品全体に散りばめられました。
その制作過程が伺いしれる稀少な『海龍』の一点をご紹介しましょう。
収録された挿絵版画の一枚「18才」(左)と、その挿絵の原画となった藤田肉筆の下絵(右)。
コクトーが旅の道中でふと趣きを感じた一瞬でしょうか。
髷を高く結い上げ中央に水引を結んだ文金高島田のヘアスタイルに、櫛や絞りの鹿の子、花簪などを華やかにあしらった若い芸者娘が、三匹の海老が描かれたお椀のようなものをしげしげと見つめる様子が描かれています。
その他収録されている作品は、両国国技館で観戦した相撲力士たちの力強い体躯や遊女たちの艶やかな身のこなし。
石けりで遊ぶ少女たちのあどけない仕草に、茶道具や火鉢など日本らしい生活道具たち。
もちろん、冒頭にご紹介した尾上菊五郎演じる鏡獅子は、荒々しい隈取や、後方の楽師たちの様子まで丹念に描き込まれています。
コクトーにとっては、目にする何もかもが新鮮に映ったことでしょう。
その様子を、大小さまざまな藤田の挿絵が人情味豊かに伝えています。
この挿画本が出版された1955年。
それは戦後、日本との決別を決意し、再びパリの地へと渡った藤田がフランス国籍を取得した記念の年。
しかし同時にそれは、母国・日本の国籍を抹消した年にもなった藤田にとって、『海龍』制作の背景には喜びとともに一抹の寂しさをも秘められているような気がします。
★弊社では現在、挿画本『海龍』の挿絵より、
「鏡の前」および「18才」(下絵付)をお取り扱いしております。
ご興味ある方はギャルリー・アルマナック吉祥寺(0422-27-1915)までお問い合わせくださいませ。
(R・K)