「スラブ叙事詩」に託したミュシャの願い


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昨年末のことになりますが、パリを拠点に活動するサウンド・クリエーター三宅純氏の公演を聴く機会がありました。
プロのトランペット奏者であり、また、数々の映画やCM等への楽曲提供や編集を長年されており、最近ではリオ五輪閉会式で流れた「君が代」のモダンなアレンジも話題になった方です。

三宅氏の音楽は、トランペットはもちろんのこと、シンセサイザー、ピアノ、フルート、ヴァイオリン、ギター、ウードなど幅広い楽器の音色に、人の歌声、さらには街のざわめきなどの環境音をも加えて生み出される重層的なメロディーが特徴的。
そこには時代や国境、宗教を超えて心を打つ神秘性が漂っているような気がします。

コズミック・ヴォイセズ

その厚みある旋律の重要な一角をなし、公演にも同行していたのが、ブルガリアの女声合唱グループ「コズミック・ヴォイセズ」。
スラヴ地方の民族衣装を身にまとい、主に農村で歌い継がれてきた民謡を美しく崇高なコーラスで奏でる歌声楽団です。 

鮮やかな赤を基調とした伝統衣装に包まれた彼女たちの姿と歌声には、スラブ民族としての高い誇りが溢れているようでした。
彼女たちの故郷、ブルガリアをはじめとする東欧およびロシアにまたがる地域は、古来よりスラブ語系言語を話す民族が広く分布し、独自の文化を形成してきたところ。
しかし、ゲルマン系民族やラテン系民族など他民族との衝突はあとを絶たず、15世紀にはイスラム系のオスマン帝国が侵略、そののちハプスブルク家の支配下になるなど、スラブ民族の歴史は常に「抑圧」や「脅威」とともにあったと言っても過言ではありません。

ミュシャ

しかし、19世紀末から20世紀初頭。
その当時、ハプスブルク帝国の施政下にあったこの一帯に、スラブ民族の一国家として独立を目指す汎スラブ運動が高まります。 

モラヴィア(現チェコ共和国)出身の芸術家で当時パリで華々しい活躍を遂げていたアルフォンス・ミュシャは、1900年パリ万博の準備のため、この地を取材。
そこで、同胞が耐え忍んできた束縛の歴史に心を痛めるとともに、スラヴ民族の連帯意識と団結力の高さに並々ならぬ希望を抱きました。

ミュシャが手がけた1900年パリ万博「ボスニア=ヘルツェゴビナ館」の壁画

新しい世紀への区切りを迎えていたこの時期。
世紀末への不安からそこはかとない厭世的な雰囲気が世の中に漂う中で、ミュシャが流行芸術家として痛感した自身の影響力の大きさ。
スラヴ人として芽生えた民族意識と高揚するナショナリズム、さらにはこの頃傾倒したフリーメイソンの博愛主義的精神など様々な要素が導き出したのでしょう。

取材旅行から戻ったミュシャは、パリ万博のために依頼されたスラブ民族主題の壁画を制作中、ある大きな決意をします。

「私は同胞スラブ民族の過去の栄光と悲惨を描くうちに、自国の全スラブ民族の喜びと悲しみを思うようになった。この壁画を完成するうちに、スラブ民族全体の歴史を描こうという決心を固めたのだ。そして私にとってそれは、すべての人々の魂に差し込む偉大で輝かしい光であった。」
(千足伸行著『ミュシャ作品集』参考)

その言葉にはスラブ民族の歴史を描きながらも、一人の芸術家として、宗教や民族、文化を超えた人類全体への普遍的メッセージを残すために、自分には何ができようかと苦悩していたミュシャの姿が浮かび上がります。

『主の祈り』

 

1899年に出版した『主の祈り』は、そうした葛藤からミュシャが辿り着いた答えの序章。
キリスト教徒が神に捧げる祈りの言葉を題材にしつつも、その真意は闇の中から光を求めて向上する人類の叡智への称賛。
美しい装飾と具象的な挿絵からなるこの作品は、ミュシャ本人をして、代表作の一つと言わしめた傑作です。
>『主の祈り』について詳しくはこちら 
そして、パリ万博での壁画制作時の決意から28年。
ミュシャの思いは約16年の歳月を費やし描いた20点の巨大連作「スラヴ叙事詩」により結実しました。

現在、国立新美術館にて開催中の「ミュシャ展」では、この大作「スラブ叙事詩」全20点をチェコ国外で初めて公開しています。
そこにはスラブ民族が味わった苦難の歴史と民族団結という本来のテーマをゆうに超え、人類全体の平和と人間性の進化を願ったミュシャの魂が今も眠っているようです。

<館内の展示の様子>

☆ギャルリー・アルマナック吉祥寺「ミュシャ小品版画展」もお見逃しなく!(会期~3/30)
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(R・K)