画家たちの愛した風景が今も残るバルビゾン村



こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。

大気汚染や温暖化など、国際的な規模で深刻化するニュースが毎日のように飛び交う昨今。
私たちが暮らす21世紀の社会では、「環境破壊」や「自然保護」などの単語はもはや珍しいものではありません。


しかし、今からおよそ160年前。
便利な生活への代償として次々と失われる自然に心を痛め、世界で初めて自然環境の保護を公に訴えた人々がいました。

具体的な行動により一定の成果を収めた彼らこそ、バルビゾン派の画家たちであったということをご存知ですか?

「バルビゾン派」とは、19世紀中頃に誕生した絵画様式の一つ。
フランス郊外のバルビゾン村を拠点に活動し、豊かな自然の風景や農民の素朴な日常の光景を描いた作風が特徴的です。

郊外へ延びる鉄道

この時代に、彼らバルビゾン派が登場した理由。
その背景には<社会面>及び<芸術面>の要因が挙げられます。
まず社会面の要因は、産業革命の進行によりフランスの各地方にまで鉄道網が発達したこと。
パリには多くの人口が集中し人々の生活は急速に近代化を遂げます。 


官展の展覧会「サロン」の様子

そして芸術面においては、伝統的に最も高貴で崇高だとされてきた歴史画や神話画を頂点とする絵画のヒエラルキーが崩壊の兆しを迎えていたこと。 


こうした状況のさなか。
当時パリで画家を目指していたテオドール・ルソーやジャン=フランソワ・ミレーは、窮屈な都市生活と美術アカデミーの束縛に嫌気が差し、郊外のバルビゾン村に移住。
まだ手つかずの自然が多く残るこの地に惹かれ、それまで最も低俗と考えられてきたモチーフ(農民、森の外れ、沼地、村など)をあえて主役にした絵画制作を始めました。

ところが。

近代化の波はバルビゾン村を含むフォンテーヌブローの森一帯にも押し寄せ、ついには1849年、この村からわずか10km程度の地に鉄道の駅が完成します。
しかし、次々と進む土地開発に反対したミレーとルソーらを筆頭にした抗議運動のおかげで、1861年に一帯は「芸術保護区」に制定。
今日まで周辺一帯が自然に恵まれた景観をとどめているのは、彼らの行動の賜物なのです。
この世界で最初の自然環境保護運動を唱え実らせた功績として、フォンテーヌブローの森の入口には、ミレーとルソーの記念碑が置かれました。

自然とともに生きる農民の素朴な生活や、ありのままの姿を残す風景。
こうした主題に惹かれた画家たちがミレーらに追従し、静かに萌芽していくこととなった「バルビゾン派」。
やがて、バルビゾン村に暮らす画家たちの数は100人以上にまで増えたといいます。
とりわけ、中心的な存在として知られるのが、「バルビゾン派七星」と呼ばれた7人の画家たち。
それぞれの画風や人物像を簡単にご紹介しましょう。

ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)
バルビゾン派の中で最も、風景ではなく、人物画に専念した画家。
家族など身近な人々を描いた慈しみと愛情あふれる作品が特徴。
寡黙で頑固一徹な人柄だった。

カミーユ・コロー(1796-1875)
最も年長で師匠格の存在。
田園的な風景にニンフが登場するなど主観的要素を加えた幻想性あふれる作品を得意とした。

テオドール・ルソー(1812-1867)
森の神秘性に感動したことで画家になることを決意し、若干19歳でサロンに初入選。
自然の雰囲気に感情移入したようなダイナミックな画風が特徴。

ジャン・フランソワ・ドービニー(1817-1878)
七星の中では最年少。
水辺の風景に特に強く魅了され、川や池、沼地を舞台にした作品が多い。

コンスタン・トロワイヨン(1810-1865)
耕地を背景に牛などの動物が登場するモチーフを好んだ画家。
新鮮な色遣いや柔和な画風で慎ましくも明るい牧歌的風景を描いた。

ナルシス=ディアズ・ド・ラ・ペーニャ(1807-1876)
フォンテーヌブローの森に女神やキューピッドなどが登場する典雅な雰囲気の貴族的な作風。
少年の頃蛇にかまれ左足を切断するという障害に負けない、社交的で明るい性格だった。

ジュール・デュプレ(1811-1889)
情趣豊かな自然を時に厚塗りの絵の具の激しい筆遣いで描く劇的な描写を好んだ。
弟レオン=ヴィクトールも画家として活躍した。

ミレー コロー ルソー
ドービニー トロワイヨン ディアズ デュプレ

それぞれの画風に違いはあれども、彼らの作品には共通して自然に対する活き活きとした感受性や、慎ましい生活を送る人々たちへの敬意が感じられます。

画家たちが愛したこのバルビゾン村には、彼らのアトリエや住宅、宿屋などのゆかりの場所がそのまま残り、往時の面影を今に伝えています。
例えば、こちらはミレーのアトリエ兼住居。
現在は、ミレー記念館として一般公開されています。

外観

1849年、バルビゾン村に移住したミレーは、元々薄汚い納屋であったここを月日をかけて改装。
愛する妻と9人の子どもたちとともに簡素に、しかし賑やかに暮らしたこの場所で、「晩鐘」や「落穂拾い」など美術史に残る名作が生まれたといわれています。 

ミレー愛用のパレットや壁時計、糸紡ぎの機械などが、何気なく置かれるその場所に立つと目に浮かぶのは、愛情あふれる家族や友人たちとミレーが過ごした団欒の様子。
さらにはどこからともなく木靴の足音や子どもたちの笑い声が聞こえ、出来たてのスープの匂いまでもがしてくるような・・・そんな美しさに満ちた空間でした。

アトリエ アトリエ
食堂 食堂

※今月のギャルリー・アルマナック吉祥寺企画展「19世紀絵画・工芸展」ではバルビゾン派作品を多数出品。
引き続き、多くのお客様のご来廊をお待ちしております。

(R・K)