ミュシャ挿画本『主の祈り』のご紹介

制作年:1899年
出版社:アンリ・ピアッツァ社
技法:リトグラフ
部数:510部
(仏語版390部 チェコ語版120部)

”1897年から1898年の頃のこと。
その時私は、次から次へと舞い込む商業ポスターや装飾デザインの仕事に心から満足できないでいた。
私の進むべき道、それはどこか別の場所、もっと高い次元の場所にあるのではないだろうか。
遥か彼方の未踏の地さえも照らすことのできる光、それを伝播する手段がないものだろうか・・・・・
私が答えを見つけるまでに、それほど長い時間はかからなかった。その答えこそが「主の祈り」であった。”
(「ミュシャ展―パリの夢 モラヴィアの祈り―」図録参考)

華やかで優美な女性像を描き一世を風靡したアール・ヌーヴォー芸術の巨匠アルフォンス・ミュシャ。
『主の祈り』は、ミュシャがその人気の絶頂期を振り返って、このように心境を吐露した特別な作品です。
“19世紀末の最も美しい本の一つ”と称えられたこの作品の主題。
それはキリスト教徒にとって最も神聖な、神にささげる祈りの言葉。
キリスト自身が”神にはこう祈りなさい”と直接弟子に伝えたと言われる全7節にわたる祈禱の言葉です。
ミュシャが強い信念を胸に自主的に出版を企画し、自身の代表作とさえ考えていた『主の祈り』。
その制作の裏側には、彼のどのような思いが隠されているのでしょうか。

1860年チェコスロヴァキアの小さな町で生まれ、パリで挿絵画家として何とか生計を立てていたミュシャ。
1894年の年末、偶然手がけたサラ・ベルナール主演の劇場ポスターにより、一気に時代の寵児となりました。商業ポスターを主とするいわゆる「ミュシャ」作品の多くが制作されたのはその後、アール・ヌーヴォー芸術の人気に陰りが見え始める1905年頃まで。
わずか10年の間にミュシャの名はフランス中に、いやヨーロッパ諸国にまで広く知れわたり、華やかな「ミュシャ様式」の装飾が爆発的に流行したのです。

ボスニア館レストランのメニュー表

 

ミュシャの名声が頂点に達していた1897年。
近隣諸国に国力を示す絶好の機会である1900年のパリ万国博覧会へ向けて、フランス政府はスラブ地方の出身であったミュシャに、ボスニア=ヘルツェゴビナやオーストリアを始めとするパビリオンの内装やデザイン全般を依頼します。

その準備のため故郷のスラブ諸国を訪れたミュシャが目にしたのは、イギリスやフランスが推し進める植民地政策の陰で抑圧される同胞たち。
この頃からミュシャは徐々に潜在的な愛国主義、そしてスラブ人としての民族意識に目覚めていきます。

ミュシャの友人で霊媒師リナ・フェルクル

また、19世紀の終わりが近づいていたこの時代。 
「世紀末」という区切りへの漠然とした不安や焦燥感から、街にはどこか終末的で厭世的な雰囲気が漂っていました。

1870年代後半から発達した心理学や精神医学の研究とも重なり、人々は精神世界にある真理や普遍性に救いを求めようとし、その結果神智学やオカルティズムが注目されます。

ミュシャも精神世界の探求に深く傾倒した一人。
心霊研究や降霊術の実験に積極的に参加し、その思想を極めるため1898年1月には秘密結社フリーメイソンに入会するのです。

その排他性や秘儀の存在から、得体のしれない怪しいイメージが先行しているフリーメイソンですが、
基本理念は”一つの宗教教義に縛られずに、兄弟愛、救済、真理を探求する世俗の友愛団体”であること。
フリーメイソンを通して得た人脈や交流は、ミュシャ後半の人生に決定的な変化をもたらしました。

フリーメイソンの礼服をまとうミュシャ

 

冒頭につづった”思い”をミュシャが決意したのはまさにこうした時代背景のさなか。

世紀末という時代の節目へのそこはかとない不安・・・・
流行芸術家として痛感した自身の影響力の大きさ・・・・
スラヴ民族としてのアイデンティティと祖国への思い・・・・
霊的な精神世界を通じた自己表現・人生哲学の追求・・・・

一人の芸術家として思想家として、
宗教や民族、文化を超えた人類全体への普遍的メッセージを残すために、自分には何ができようか。
苦悩したミュシャが導き出した答えが『主の祈り』だったのです。

『主の祈り』は、神にささげる7節の①祈祷の言葉、そしてミュシャ自身の哲学的解釈を加えた各②解説文、を中世の彩色写本のように装飾し、さらに各祈祷文の背後にある精神世界を③幻想画で表現した究極の宗教芸術書。

それではミュシャが全身全霊を捧げて制作した『主の祈り』、渾身の全23ページをご紹介しましょう。

「LE PATER(父よ)」と、大きく表題が掲げられた「扉絵」(↓)
女性の小像を片手に、六芒星の輪に囲まれながらスピリチュアルな次元へといざなわれる人物。
強烈なインパクトを放つ表紙から始まります。


第一節・祈祷文

第一節
(祈祷文)
「天におられる私たちの父よ」(→)

(解説文↓)
よどんだ状況にある者が、少しずつ目覚めていき、ようやく自分のいる位置を認識する。理想に向かって上昇するためには、進むべき道を定め、精神を解放し、肉体がとどまる暗黒の領域を離れなければならない。

向上心のある者は、遠くにかすかに見えるこの光に向かい、同志と共に徐々に近づいていく。この者は、皆が自分の兄弟で、一つの家族の息子であり、同じ未来に向かっていることを知っている。溢れ出た愛情が、皆を照らすこの光をこう名付ける。<天におられる私たちの父>

第一節・解説文 第一節・幻想画

第二節・祈祷文

第二節
(祈祷文)
「御名が聖とされますように」(→)

(解説文↓)

地上の深淵から脱出し、神性そのものであるこの光を前にした者は、自らが所有する最高のものを差し出す。また、神に捧げる犠牲と共に、崇拝の念、賛美の念をあらわす。多くの者がひれ伏し、無意識から発生した内面の炎を、実際に立ち上る火にそそぎ込む。
神は、この明晰の目覚めに向かう最初の一歩を、慈悲に満ちた黙想をしながら見守ってくださる。

第二節・解説文 第二節・幻想画

第三節・祈祷文

第三節
(祈祷文)
「御国が来ますように」(→)

(解説文↓)

こうした絶え間ない我らの努力に動かされた神は、人間がもがき苦しむ地上の深淵にまで届く、真実の光を発してくださる。
精神にも浸透し、闇の中までも入り込んでくるこの光に最初は驚きを隠せないが、清らかな好奇心に背中を押され、人々が集まる。そして、これより先、自分たちを統治する未知なる力によって支配されるのを感じるのだ。その力とは”愛”である。

第三節・解説文 第三節・幻想画

第四節・祈祷文

第四節
(祈祷文)
「御心が天に行われるとおり、地にも行われますように」(→)

(解説文↓)

父なる神の存在と、自分と神とを結ぶ愛を知った者は、未来を統治する神の力を信頼することを学んでいく。
完全に身をゆだね、善と悪とを同じく神から甘受する。人生における全ての出来事が、大いなる意志の叡智によって導かれることを知ったのだから。

第四節・解説文 第四節・幻想画

第五節・祈祷文

第五節
(祈祷文)
「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください」(→)

(解説文↓)

自分の周りの生命ある者が必要とするもの。それを全て与えてくださる神の摂理の叡智を、日々崇拝する。喉の渇きを癒す地上における糧だけでなく、魂の空腹を満たす愛という名の糧も、神の慈愛から与えられることを知るのである。

第五節・解説文 第五節・幻想画

第六節・祈祷文

第六節
(祈祷文)
「私たちの罪をお許しください。私たちも人を許します」(→)

(解説文↓)

物質的そして精神的生活の糧を与えられた者は、同志にも意識を向け、内から湧き出る愛情を彼らに注ぐことを学ばなければならない。
衝動による邪悪な力を抑制し、永遠なる指導者の意志によって、赦しという重要な戒律を理解し、遵守しなければならない。

第六節・解説文 第六節・幻想画

第七節・祈祷文

第七節
(祈祷文)
「私たちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください」(→)

(解説文↓)

完全に自己に目覚めた者は、かすかに見える光の中を、光の家すなわち理想に向かって前進していく。
その意志は神の配慮に助けられ導かれるが、邪悪な悪魔が仕掛けた数々の罠を通り抜けなければならない。ついには物質から自由になり、人生に開眼させてくださった至高の存在と向きあうことになるのである。

第七節・解説文 第七節・幻想画

最後の挿絵「アーメン」

 

『主の祈り』により表現されたミュシャの世界観。
彼がその後晩年におよぶまで手がけた20点の巨大連作”スラヴ叙事詩”に引き継がれたそのビジョンは、
人類全体の平和と人間性の進化を願い続けたミュシャの希望の光でした。

ミュシャ「主の祈り・装飾祈祷文・Ⅴ」

本日ご紹介したミュシャのこちらの作品は、
現在軽井沢店で開催中の「ミュシャとアール・ヌーヴォーの世界展」でご覧いただけます。
妖しくもありながら、信仰の違いを超えて、私たちの心の真髄に響くミュシャの神秘の世界をどうぞご堪能くださいませ。
(会期:~7/31まで)

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(R・K)