ドイツの風刺雑誌『Fliegende Blatter(フリーゲンデ・ブラッター)』


こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。

新しい年が明けたのも束の間、気付けば1月ももう終わり。
皆様は良い一年をスタートされていますか?

世間では、年始早々から週刊誌の各種報道が何かと波紋を呼んでいますね。
一連の騒動はまた、ジャーナリズムに対する大衆の高い好奇心を象徴しているとも言えましょう。

新聞を読む当時の人々の様子(1850年頃)

 

「真相」を知りたい民衆の関心を煽るようなこうした大衆紙の過激な報道合戦は、いつの時代から始まったのでしょう。
実は、新聞や大衆紙が現代のように、自由に主義主張を表現できるようになったのは19世紀頃から。
1800年代中頃よりドイツやフランスで法律が改正、事前検閲制度が緩和されたことで近代ジャーナリスムの歴史はようやく幕を開けました。

本日ご紹介するのは、そんな時代のさなか1844年にドイツで創刊された風刺雑誌『Fliegende Blätter(フリーゲンデ・ブラッター)』。
週刊誌としては異例の101年のもの長きに渡り発行を続けました。

『Fliegende Blätter』は、フランスやイギリスですでに登場していた風刺雑誌を参考に、版画を学んだカスパール・ブラウンが書籍商のフリードリヒ・シュナイザーとともに創業。

厳しい検閲は廃止されつつあっても過激な急進的社会風刺は当局から睨まれていた時代にあって、この風刺雑誌の優れた点は、一瞥すると害のない日常生活や社会風俗など話題を中心に、機知に富む風刺画で世相を批判したこと。

また、雑誌は趣向を凝らした広告欄も見ものだったとか。
カラヴァッジョが描いた有名な「メデューサ」をデフォルメしたような右下の広告は、1892年に発明されたディーゼル・ガスの宣伝。
社会戯画以外にもこうした目を引く広告欄やクイズ、小説など老若男女が楽しめる要素を盛り込んだ点も時代の波をよく読み、難局に上手く対処した二人の手腕の高さとともに長寿雑誌として生き残った秘訣かもしれませんね。

さて来週の週刊誌では、
誰もが明るくなるような報道が日本を駆け巡るといいのですが・・・

(R・K)

芸術の話

Posted by blanca