宮廷音楽家ジャン=バティスト・リュリとその時代


こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。

17世紀フランス。
太陽王と呼ばれたルイ14世(1638-1715)が国家を統治した時代です。
教皇の提唱により11世紀に始まった十字軍の失敗以降、度重なる失政により教会勢力は完全に衰退。
宗教戦争などの影響もあり数世紀の間に人心は徐々に教皇から離れていきました。

この間に反対に力を伸ばしたのが、国家間の戦争を通じて集権的支配体制を固めた王権。
特にフランスは「国王の権力は神から与えられた神聖不可侵なものである」と説く王権神授説の下、ルイ14世により絶大な一元支配体制が築かれます。

彼の寵愛を一身に受け、音楽の力で絶対王政をより強固なものにした宮廷作曲家がいました。
それが、ジャン=バティスト・リュリ(Jean Baptiste lully 1632-1687)です。

ジャン=バティスト・リュリ

元々イタリア生まれだったリュリが、オルレアン公モンパシェ公女(ルイ14世の従姉妹)の小姓としてフランスに奉公に出たのは14歳のこと。

この奉公を通じて音楽理論を学び、その道に高い才能を示したリュリは年齢が近しかった若き君主ルイ14世に気に入られ、宮廷楽団の監督に任命されます。

ここからが華々しいキャリアのスタート。
この時代に花開いたバレエ楽曲を作曲するとともに自ら舞台に出演するなど多方面で活躍。
また当時、イタリアから流入していたオペラをフランス風にアレンジしたコメディ・バレと呼ばれる喜劇的な作品や抒情悲劇を確立しました。

音楽とバレエと劇を融合させた様々なジャンルの新しい音楽を試みたことは彼の偉大な業績の一つです。
ちなみに、こちらはリュリの人生を描いた映画『王は踊る』(2000年,仏)の一部。
動画は映画内の代表的な舞踊歌劇のシーンをまとめたものですが、当時の宮廷音楽の雰囲気や風俗がよく分かります。

強大な権力をふるったルイ14世の国家統治には、バロック音楽の一時代を築いた天才作曲家の力も大いに働いたことでしょうね。

 

さて、今回が本年最後のブログとなります。
今年吉祥寺や軽井沢店にお越しくださったお客様や、いつもこちらのブログをご覧くださっている皆様。
誠にありがとうございました。
そして、来年も引き続きのご愛顧を何卒よろしくお願いいたします。

去りゆく2015年と来向かう2016年。
フランス文学者の鹿島茂氏が記した著書『パリ・世紀末パノラマ館』によると、実質的な”世紀の切り替わり”というのは15年ほどずれこむそうです。

例えば18世紀が実質的に始まったのは1700年ではなく、ルイ14世が崩御した1715年。
これにより、「理性・バロックの17世紀」から「啓蒙・ロココの18世紀へ」。
その後、フランス革命が起こり1815年にナポレオンがワーテルローの戦いで敗北したことで、ロココの18世紀から「進歩・ロマン主義」の19世紀へ。
さらに、1914年の第一次世界大戦勃発により「大衆・機能主義」の20世紀へと移行したのだとか。

この鹿島氏の推説に基づくと、昨年から来年にかけたあたりが21世紀への変わり目。
「大衆・機能主義」と位置づけられた20世紀から、どんな世紀へと変遷をしているのでしょうか。
いずれにしろ、無差別に命を奪うようなおぞましい事件のない世紀にしたいですね。

それでは皆様、良いお年をお迎えくださいませ。

(R・K)