印象派の陰の功労者? 悲劇の実業家エルネスト・オシュデ


こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。

現在、東京都美術館では「モネ展」が絶賛開催中。
先日訪れた際は入場30分待ちの大混雑でした。
さすが、印象派の大巨匠モネ(1840-1926)ですね。
10代から晩年の作品まで画家の画業を網羅した一大回顧展とあれば、多少待ってでも見逃す手はありません。

さて、普遍的人気の高いモネやルノワールなどの印象派ですが、彼らの作品が発表された19世紀中頃にあっては、日常の何気ない一幕を細かい筆致で描いた風俗画はかなり前衛的。
実際、モネの代表作で印象派の名の由来ともなった「印象、日の出」は賛否両論。
かなりの物議を醸したいわば問題作だったのです。

しかし、そうした社会的反応の中でも彼らの美術を積極的に蒐集した、審美眼と洞察力あるパトロンたちが存在しました。
彼らの献身的な支えにより、印象派は現在の評価までつながる美術史になくてはならない存在となったのです。

エルネスト・オシュデ

その支えの一人として知られる人物が、実業家エルネスト・オシュデ(1837-1891)。
パリのデパート王と呼ばれ、百貨店経営で築き上げた富で美術を蒐集。
モネやドガ、マネ、ピサロやシスレーなどの作品を購入し、特にモネとは良き友人になりました。
ちょっと奇妙な話ですが、1878年頃からは妻と6人の子どもを連れたオシュデ家とモネ家は小村ヴェトュイユの家で生活を一時期ともにしています。

その後、度重なった不幸の出来事。
まず、浪費癖がたたりオシュデは破産。
妻と子供を捨ててベルギーに夜逃げしてしまいました。
そして、モネの妻カミーユが結核により32歳という若さで亡くなってしまうのです・・・
パトロンと妻を同時期に亡くし、さらに他人の6人の子どもを残され失意のドン底にあったモネを献身的に世話したのが、オシュデの妻アリスでした。

クロード・モネ
アリス・オシュデ

二人は協力して子どもを育て、カミーユが亡くなってから約13年を経た1892年。
モネはアリスと二度目の結婚をし、以降1911年にアリスが亡くなるまで添い遂げました。
アリスや子どもたちは、中期から晩年のモネの創作欲のインスピレーションとして美しいモネの作品たちにも度々登場しています。

 
画家の周辺にいた人物との交流関係を紐解いていくと見えてくるのが、こうした面白い逸話や相関図。
芸術家のモデルやミューズと同じく、画家の知名度に比べて目立たない陰の人物にこそ作品の意外な真相が隠れていると思いませんか?
モネ展は来週日曜日12/13までの開催です。

(R・K)