マン・レイの知られざるミューズ「Adrienne」

マン・レイ「Adrienne」

 

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爽やかな青色の濃淡が美しい背景と、シンプルでありながら確実にモデルの個性を捉えた描線。

頭の後ろに腕を回しまどろむ裸婦の姿、という珍しくはない主題でありながら非常に強い個性のあるこちらの銅版画作品(エッチング/アクアチント)。
著名な写真家であるマン・レイが手がけた「Adrienne」です。

モデルとなったAdrienneとは、一体どんな女性だったのでしょうか。

彼女の本名はAdrienne Fidelin (アドリエンヌ・フィデリン)。
グアドループというカリブ海に浮かぶ小島で生まれ育ったのち、1930年代後半にマン・レイのミューズそして恋人になりました。

元々故郷の島で踊り子をしていた彼女に転機が訪れたのは1936年。
モデルを目指しパリに渡ったアドリエンヌは、エキゾチックな美しい容貌でたちまちマン・レイの心を捉えます。
ピカソやポール・エリュアール、マックス・エルンストら当時マン・レイが親しくしていた芸術家仲間にも歓迎され、Adyと呼ばれ愛されました。



中南米出身で小麦色の肌が特徴のアドリエンヌ。
しかしそれは、芸術家の目を引く魅力的な個性であってもいわゆる「白人」ではないと考えられ、黒い肌のモデルが雑誌に登場するのはありえない時代でした。

しかし、人種主義を批判したある編集者の協力のもと1937年、ファッション雑誌ハーパーズ・バザーにおいて、アフリカン・ジュエリーを身に付けた彼女が掲載されることに。
写真の撮影者はもちろん、マン・レイでした。


これは、ファッション史においても美術史においても、そして人種差別の歴史においても、非常に画期的な出来事でした。

その後、彼女はどうなったのでしょう。
アメリカへ亡命するマン・レイと1940年に別離し、別の男性と結婚したことは分かっていますが、残念ながらアドリエンヌに関する多くは謎のまま。

そうした背景を知ってから改めて作品を見ると、色や線描の美しさなどいわゆる表面的良さだけではない内に秘めた魅力が伝わるような気がします。
本作の制作年は二人が別れてだいぶ経た1970年。
晩年のマン・レイは何を想い、若き日のミューズを題材にしたのか。
傍らに描かれた犬は何かを象徴しているのか。
そして、彼女の肌に色を載せなかったのには何か意図があるのか・・・・

マン・レイの直筆サイン
エディション番号66/75

後世に名を残す芸術家の心を生涯捉えた対象でありながら、あまり知られていないこうした女性たち。
芸術家の作品から間接的に知る彼女たちは、謎めいているからこそ私たちを惹きつけてやまないのかもしれません。

作品に関するお問い合わせは、お電話(0422-27-1915)またはこちらまで。

(R・K)