横浜美術館「ホイッスラー展」

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アメリカで生まれ、イギリスをメインに活躍した画家ホイッスラー。
彼の日本で約30年ぶりとなる大規模な回顧展が現在横浜美術館で開催されています。
画家の名に聞き覚えのない方もいらっしゃるでしょうか。

確かに、同年代に活躍し彼と交友のあったモネやラファエル前派の画家と比べ知名度は劣りますが、美術史において重要な画家の一人であることは間違いありません。

特定の美術流派に属さず、己の感性を信じ探究を続けた孤高の画家が辿り着いたものとは何だったのでしょう。

煙草を吸う老人

ホイッスラーが画家になる決意を胸にパリに渡ったのは1855年。
21歳だった彼を最初に魅了したのは、当時のパリ画壇の新しい流行「レアリスム」でした。
レアリスム(=写実主義)が題材にしたのはそれまで主流であった神話画や歴史画でなく、市井に生きる人々のあるがままの現実の姿。
ホイッスラー初期の作品「煙草を吸う老人」や「ブルターニュの海岸」には、主題の選択や厚塗りの絵の具にレアリスムからの強い影響が伺えます。

芸術家は思想や社会的状況を反映して作風が様々に変遷しますよね。
ピカソも青の時代やばら色の時代の画風を経て、キュビスムへと進化しました。
ホイッスラーもそうした画家の一人。

一体、この初期作品からどのようにスタイルが変化していくのでしょう。

肌色と緑色の黄昏:バルパライソ

1866年。ホイッスラーは南米のチリへ衝動的に旅立ちます。
この時期制作に行き詰まり、私生活にも疲れていたホイッスラー。
それまで傾倒していたレアリスムから離れる覚悟で向かったのはチリのバルパライソという場所でした。
そこで、描いた日が暮れる黄昏時の神秘的な瞬間は、ホイッスラーにとって色彩の階調で風景を詩的に表現する初めての試みであり、またレアリスムとの決別の瞬間でもありました。


灰色と黒のアレンジメントNo.2:トーマス・カーライルの肖像

以降の作品には、「ハーモニー」や「アレンジメント」、「シンフォニー」「ノクターン」などの音楽用語を意識的にタイトルに用いた表現で、色と形の配置や調和により強い関心を示していきます。
また、当時のイギリス・ヴィクトリア朝画壇の基本は、道徳的や教訓的な意味が含まれる「主題」ありきの絵画でした。
しかし、ホイッスラーはその慣習を否定しむしろ「主題のない絵」を追求するようになります。
だからこそ、高名な歴史家であるトーマス・カーライル(右)の肖像画も色と形のアレンジメントに還元してしまったのです。


白のシンフォニーNo.2:小さなホワイト・ガール
紫とバラ色:6つのマークのランゲ・ライゼン

さて、ホイッスラーがパリに渡った1800年代後半は空前の日本ブーム。
浮世絵を始め、多くの日本美術や文化がヨーロッパに熱狂的に受け入れられます。
ホイッスラーも日本や東洋の文物に惹かれ、「オリエンタル・ペインティング」と呼ばれる異国趣味あふれる作品を次々と残した画家の一人。

しかし、東洋的なモチーフを描いた作品も初期から晩年にかけて大きく変化。
ジャポニスムの影響を受けた初期の作品は、目新しい東洋の品々をいわば小道具としてそのまま描きこんだかなり直接的な表現。
しかし、色彩や形態に興味を抱くようになり徐々に変化していきます。


ノクターン:青と金色

ホイッスラー後期の作品では、浮世絵にインスピレーションを受けた斬新な構図や、水墨画を想起させるような詩情豊かな表現が特徴。

限られた淡彩を巧みに用いることにより美的効果を追求した空間からは神秘的なヴェールに包まれたような静謐さが感じられます。

芸術に純粋な美のみを求める「芸術のための芸術」を理想としたホイッスラー。
色彩と形態の組み合わせにより美を追求する、ホイッスラー独自の画風が完成しました。


「音楽が音の詩であるように、絵画は視覚の詩である。そして、主題は音や色彩のハーモニーとは何のかかわりもないのである」と謳い、日本美術の表現を模範に、普遍的な美しさの統一された絵画空間を作りあげたホイッスラー。
ホイッスラーの美しい哲学に溢れた、この冬必見の展覧会です。

(R・K)