谷崎潤一郎「陰翳礼讃」を読んで


こんにちは。
ブログをお読みいただきありがとうございます。
本年最後のブログ更新となります。

先日家族で夕飯を食べていた時のこと。
ふとした会話から谷崎潤一郎の著書「陰翳礼讃」が話題に上がりました。
久方ぶりに読み返すと、谷崎の繰り出す美しく説得力のある文章が心に響き、日本人として生まれ日本人としての感性を身につけた事への大きな誇りが生まれてきました。

谷崎はその中の一節で、日本人になじみ深い菓子である羊羹を「瞑想的」である、と表現しています。
半透明に曇った表面が、日の光を奥の方にまで含んでぼんやりと仄明るくたたずむ姿。
その色合いの深さが神秘的で、谷崎曰く羊羹の奥深さに比べると西洋菓子のクリームがいかに単純であるか、が分かるといいます。

そして、羊羹に限らずお吸い物や豆腐や炊き立ての白飯を引きたてるのが、沼のような深さと厚みを持つつやと、幾重にも堆積した「闇」の色が魅力の漆器。
さらに、その漆器の美しさはぼんやりした薄明かりの中に置いてこそ、本来の風情や雅味が蘇る、と断言しています。
蝋燭や燈明のゆらゆらとした穂が映す陰翳の世界。
そういった瞬間の心持ちは、ピカピカと光るものや「明」を好む傾向にある西洋に比すると実に神秘的であり、羊羹が漆器の暗がりの中に沈んだ様子が実に瞑想的だという谷崎の表現に、妙に納得させられます。
食文化に限らず我々日本人の生活がは古来から「闇」や「翳」と切っても切れない関係であり、「陰翳を生ぜしめて、そこから美を創造する」という日本人独特の美的感覚を讃えた谷崎の思考や表現力にただただ感服しました。

この「陰翳礼讃」を読んだ後に、感じたこと。
夜が更けてもネオンや蛍光灯がこうこうと灯る生活の便利さを享受する反面、普段私たちが目にする事物は、時として明るすぎる現代の光の下で現れる幻覚の色なのではないか、と。
江戸時代の人々が行燈などの暗光の下で見ていた浮世絵と、LEDや蛍光灯などの現代の明光の下で見る浮世絵は紙の質感から摺りによって生まれる凹凸の陰翳まで全く別物に思えるほど相違がある、とも言われています。

当店の取扱う作品は多くがヨーロッパで生まれたものですが、日本に比べ文明の進んでいた100年前の西洋でさえ、芸術家が制作していた時分には今の明かりとは違った見え方だったかもしれませんね。

光の館

 

ところで、谷崎が述べた「暗がりの中に美を求める」というこの東洋的感覚。
この「陰翳礼讃」にインスピレーションを受けて建てられたという旅館があります。
西洋人アーティストのジェームズ・タレル氏が手がけた「光の館」。
2000年に新潟県で開催されたアートトリエンナーレの際に制作されたもので、今でも実際に宿泊可能。
来年是非訪れてみたい場所の一つです。


失われつつある「闇」や「翳」の有難味に思いを馳せながら、大晦日はいつもの明かりを消して除夜の鐘を聞こうと思います。

それでは皆様、良いお年をお迎えください。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

(R・K)