マイセン「忘れな草アップリケカップ&ソーサー」のご紹介

こんにちは。寒い日が続いていますね。
東京でも明日は雪になりそうだとか。
風邪なども流行っているようなので皆様十分ご注意ください。

さて、当店で取り扱うアンティークアイテムの数々を、本日よりこちらのブログでご紹介させていただきます。
不定期に少しずつですが更新してまいりますので、飽きずにお読みいただけると幸いです。

また、当店では絵画や版画、ガラス工芸や陶磁器、ブロンズ、挿画本、アンティークジュエリー、アンティークカードなどの作品をご覧になれます。
もちろん、気になる作品がございましたらご購入もいただけます。
お客様の生活の、そして人生にお役立ちできるようなアートピースとの出会い。
そのお手伝いが出来れば幸いです。

毎月、見応えある企画展を開催しておりますので吉祥寺界隈にお越しの際は、是非ご来廊ください。

さて、ブログ第一回目の本日は、陶磁器の王道マイセンより可愛らしいアップリケが施されたカップ&ソーサーをご紹介いたします。

マイセン 忘れな草アップリケカップ&ソーサー
制作:1924年以前

1709年、ヨーロッパで最初に硬質(白色鉱物カオリンを70%以上含む)の白磁生産に成功したのはドイツ・マイセン地方にあるマイセン窯。
ヨーロッパではルネッサンスや大航海時代を経て、中近東や遠くアジアとの貿易が発達しました。
遠い地から辿り着いた貿易品の中には中国や日本の陶磁器も含まれており、17世紀当時、白色の磁器を作る技術が発明されていなかった西洋では、東洋への憧れから競って白色磁器が輸入され裕福な王侯貴族らの目を楽しませていました。

そんな中、白磁の製造開発に乗り出したのがドイツ・ザクセン公国の選帝侯アウグスト強健王。
是が非でも自国で白磁を生産しようと、錬金術師ベドガーに命じます。
その後、苦心の末開発に成功したベドガーの功績によりマイセン窯がスタートしました。
白磁の開発は不可能にも近いことだと考えられていたのでしょう。
その製造方法を他国に漏らすまいとしたアウグスト王が一時彼を幽閉しています。
しかし、そののち他の国々もそれぞれ開発に成功し、ヨーロッパの窯業は次々と花開きます。

 

ところで、マイセンといえば可憐な花のデザインで有名ですね。
この作品のモチーフになっている忘れな草は英語で<forget me not>というのですが、名前の由来にはある中世の騎士にまつわる悲恋が隠されています。

昔々、中世ドイツの騎士であったルドルフにはベルタという名の愛する女性がいました。
ある日、ドナウ河沿いを散歩していた二人。

突然、道端に一輪の可憐な花が咲いているのを見つけたベルタに、ルドルフはその花をプレゼントしようと手を伸ばします。
しかし、足を滑らせ川に転落。
川の流れが非常に速かったため、彼は岸辺に戻ることができずにその花を彼女に向かって投げ、こう言いました。
「Forget me not!(僕のことを忘れないで!)」
そしてそれ以来、人はその花を忘れな草と呼ぶようになったとか。
何とも切ない物語ですね・・・

現代では同じ技術を持つ人がいないと言われるほど高度な技術を持つマイセンの熟練職人によって花びらの一枚一枚丁寧に絵付けされたカップ&ソーサー。
名前の由来を知って改めて忘れな草の花を見ると、何だかルドルフの想いを体現したかのように可憐に健気に咲いているようにも感じられます。

ソーサーの底部にまでたくさん咲いた忘れな草の花。
専用のディスプレイケースに置いて飾るのも素敵ですね。

当店の他陶磁器作品はこちらからどうぞ。

(R・K)